この日記を書き始めて、もう、1000回以上、3年は続いた事になる。
筆不精の私の人生においては、画期的な事。
きっかけは、体調を崩し、療養中だった時。
仕事で、全国を飛び回っていたのが、銀座事務所で、オンライン会議ばかりとなった。
大勢銀座に集まる研修会も、入職式もオンラインとなり、自宅と銀座の往復ばかりの生活となった。
週末は、映画館か美術館巡りの生活も、自宅で読書とテレビの引きこもり生活となった。
その淋しい、侘しい生活に耐えられず、深夜、と言うよりも明け方に、職員宛にメールを送るようになった。
これからの日本の医療福祉はどうなるのか。
それにつれて、湖山Gの経営はどうすべきか。
個々の幹部は、何を意識すべきか。
現在の湖山Gの欠点は。
強みは。
未来は。
その自問と不安を正直に思うままに、綴ったのが、この日記となった。
昼間の皆を前にした会議では、こうは、本音を吐けなかっただろう。
明け方の孤独な魂の叫びとでも言うのだろうか。
日中は、エンジン全開で、パワフルな私も、深夜は孤独を感じる。
心の奥底に沈むと、自然に、亡くなった両親や、子供の頃の思い出が蘇る。
実家に戻り、両親の遺品に囲まれているせいかもしれない。
子供の頃の家族の写真もそのまま。
湖山の仕事は、医療福祉。
専門技術知識よりも、人間性。
父の優しさ、思いやり。
母の気配り、厳しさ。
結局、行き着くところは、家族愛。
私は、両親に甘やかされて育ってきたせいか、この歳になると、寂しさが募る。
思い出に、懐かしさと人生の後悔に苦しむ。
生きる励みは、湖山の若者の成長や、園児の笑顔だ。
私の老境は枯れていない。
若者の未来が、輝いて見える。
それが、日々の生きる糧だと思う。
湖山の仲間を家族のように慕う。
その勝手な、片思いの心境を独り噛み締めている。
この日記は、毎日の経営指針でもあり、精神の自己分析でもある。
自分個人への叱咤激励でもあり、反省でもある。
毎日、遺書を書いている心境だ。
朝日を待つ寝室の机で、パソコンに向かう。
今日も、無事、生きて目覚めた事を感謝する。
体調不良で、目覚めなかった日もあったのだ。
目覚める事の出来た、今日この1日を、大事に思う。
感謝して、無駄には、しない。
後顧の憂いなく、思いっきり戦う。
もう、私の人生に、遠慮も、後悔もない。
これからは。
今日も。
パルスオキシメーター 98・98・98
体温36.6 血糖166
捨てる物なき勇気 代表 湖山 泰成
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