私は、子供の時から色白で、日焼けに弱かった。
小学校の時から、校庭に出たくなく、いつも、1人図書室に隠れて本を読んでいた。
本に囲まれた、暗い孤独な部屋は、魔法学校の秘密の部屋だった。
まさしく、あらゆる本は、自分の未だ知らない未知の魔法の教科書だった。
古びれた厚い年刊や辞書は、魔法の口伝書、聖書。
壁に並んだ、背表紙は、妖精の森。
燃える太陽の光は、悪魔の使いで、今でも、苦手だ。
身体中が、真っ赤になって痒くなる。
私は、月からの使者か、妖精の末裔だと思いたい。
痒くなる食べ物もある。
海老、蟹、帆立、烏賊、蛸。
食アレルギーの典型。
母が、スープの出汁に入れるでけでも、舌で感じた。
エビカニの多い、高級上海料理は、苦手だった。
大人になって、病院で、アレルギー脱感作の治療をしてもらうと思ったのだが、父は答えた。
お前が、蟹を食べられるようになっても、家族の誰も幸せにならない。
つまり、他の家族の取り分が減るので、今のままの方が良いというのだ。
この点については、情けのない父親だったのか、他の家族に配慮したのか。
結婚式では、海老の皿は、いつも隣の人に差し上げていた。
昭和天皇は、河豚だけは、食べなかったと言う。
天皇でも、一つ位食べない食材があっても良いだろうと言う話だったのだが、本当かどうか怪しいと思う。
だから、子供の時は、寿司は、いつも並を頼んでいた。
エビ、ホタテを避けるためである。
でも、寿司屋の海苔巻こそ、寿司屋の腕が出る。
小肌こそ、寿司らしい仕込みの技量が出る事もわかった。
アキレスの踵ではないが、欠点を一つ位持つ事は、悪くない。
でも、私の隠れた欠点は、もう、ご心配なされるな。
今は、どれも大好きで、美味しく頂ける。
薬でも治療でもない。
単に、歳を取って、神経が鈍くなってきたのだ。
なんとなく、情けないが。
代わりに、お酒を飲むと急速に眠くなって、その場で昏睡してしまうようになった。
若い時は、水のように飲めたのに。
歳を取ると、感性が鈍く変わる。
人間が変わる。
世の不条理を、不知の神の身わざとして、受け入れるようになった。
諦めただけかもしれないが。
そして、死ぬ事が、昔程は、怖くなくなった。
生きている事自体が、日々辛いと感じるからだ。
そう思うのも、生物の摂理、神の御加護、神の救いなのかもしれない。
死を、看取られると考えるのも、他者によって生かされていると実感するようになったからだ。
今日は、宝塚と歌舞伎のダブルヘッダーで観劇する。
職員の観劇会に参加するのである。
昔だったら、週末は、1人でも観に行っていたはずだ。
今は、職員と一緒だから、劇場に行こうと思える。
おかげで、実際に行ける。
そうでなければ、テレビで観るくらいだったろう。
職員のおかげで、観劇して、皆と共に、感激する事が出来る。
職員のおかげで、生かされているのだなあと、本当に思う。
今日も、ありがとう、皆さん。お世話になります。
パルスオキシメーター 98・98・98
体温36.1 血糖140
今日は宴会だ 代表 湖山 泰成
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