【銀座湖山日記/1月21日】秘密のアレルギー

【銀座湖山日記/1月21日】秘密のアレルギー

私は、子供の時から色白で、日焼けに弱かった。
小学校の時から、校庭に出たくなく、いつも、1人図書室に隠れて本を読んでいた。
本に囲まれた、暗い孤独な部屋は、魔法学校の秘密の部屋だった。
まさしく、あらゆる本は、自分の未だ知らない未知の魔法の教科書だった。
古びれた厚い年刊や辞書は、魔法の口伝書、聖書。
壁に並んだ、背表紙は、妖精の森。
燃える太陽の光は、悪魔の使いで、今でも、苦手だ。
身体中が、真っ赤になって痒くなる。
私は、月からの使者か、妖精の末裔だと思いたい。
痒くなる食べ物もある。
海老、蟹、帆立、烏賊、蛸。
食アレルギーの典型。
母が、スープの出汁に入れるでけでも、舌で感じた。
エビカニの多い、高級上海料理は、苦手だった。
大人になって、病院で、アレルギー脱感作の治療をしてもらうと思ったのだが、父は答えた。
お前が、蟹を食べられるようになっても、家族の誰も幸せにならない。
つまり、他の家族の取り分が減るので、今のままの方が良いというのだ。
この点については、情けのない父親だったのか、他の家族に配慮したのか。
結婚式では、海老の皿は、いつも隣の人に差し上げていた。
昭和天皇は、河豚だけは、食べなかったと言う。
天皇でも、一つ位食べない食材があっても良いだろうと言う話だったのだが、本当かどうか怪しいと思う。
だから、子供の時は、寿司は、いつも並を頼んでいた。
エビ、ホタテを避けるためである。
でも、寿司屋の海苔巻こそ、寿司屋の腕が出る。
小肌こそ、寿司らしい仕込みの技量が出る事もわかった。
アキレスの踵ではないが、欠点を一つ位持つ事は、悪くない。
でも、私の隠れた欠点は、もう、ご心配なされるな。
今は、どれも大好きで、美味しく頂ける。
薬でも治療でもない。
単に、歳を取って、神経が鈍くなってきたのだ。
なんとなく、情けないが。
代わりに、お酒を飲むと急速に眠くなって、その場で昏睡してしまうようになった。
若い時は、水のように飲めたのに。
歳を取ると、感性が鈍く変わる。
人間が変わる。
世の不条理を、不知の神の身わざとして、受け入れるようになった。
諦めただけかもしれないが。
そして、死ぬ事が、昔程は、怖くなくなった。
生きている事自体が、日々辛いと感じるからだ。
そう思うのも、生物の摂理、神の御加護、神の救いなのかもしれない。
死を、看取られると考えるのも、他者によって生かされていると実感するようになったからだ。
今日は、宝塚と歌舞伎のダブルヘッダーで観劇する。
職員の観劇会に参加するのである。
昔だったら、週末は、1人でも観に行っていたはずだ。
今は、職員と一緒だから、劇場に行こうと思える。
おかげで、実際に行ける。
そうでなければ、テレビで観るくらいだったろう。
職員のおかげで、観劇して、皆と共に、感激する事が出来る。
職員のおかげで、生かされているのだなあと、本当に思う。
今日も、ありがとう、皆さん。お世話になります。

パルスオキシメーター 98・98・98
体温36.1 血糖140

今日は宴会だ 代表 湖山 泰成

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