私の右手の人差し指には、いつも絆創膏が巻いてある。
毎朝、朝風呂の後に張り替える。
子供の時に出来たペンダコが、治らないのだ。
皮膚科に行って、焼けばなくなるのかもしれないのだが、何故かそれをしないで来てしまった。
今も、そこを親指で擦る癖が残っている。
絆創膏を貼らないでいると、出血する事があり、書類を汚してしまうので、未だに毎日、絆創膏を貼っている。
朝の出社前の儀式。
まるで、女子高生の失恋の記憶みたいだ。
それと、年と共に字を書くのが億劫になり、書痙のようになってしまった。
契約書、役員会議事録、借入証書。
皆、ストレスがかかる。書くのに緊張する。
署名をする私の手を、周りから見つめられると、更に緊張してくる。
私は、実は、気の弱い対人恐怖症なのかもしれない。
それを、頑張りと、冗談と笑顔で誤魔化しているのだ。
自分自身を。
その延長なのか、年賀状も無礼ながら、自筆で書くことは無くなった。
印刷で、来た方には、返事を出していた。
それも、今年は、完全にやめてしまった。
ご無礼を許して欲しい。
職員からも、丁寧な賀状を頂いたが、返事は勘弁して許していただきたい。
その代わり、何度も読み返して、心を和ませている。
保育園からの賀状も心温まる。
孫からの便りとは、このような気分になるのだろうか。
お取引先から、亡くなった父と宛名が連名で送られてくる賀状も、完全に無くなった。
父の関係者からのお便りも無くなった。
皆さん、亡くなったのだ。
これを機会に、無精をさせて欲しい。
ホームページには、年賀の挨拶を掲載した。
コロナの影響もあるが、外の夜のお付き合いが無くなったので、ますます蟄居の時間が多くなった。
それは、悪い事ではない。
若い頃は、お寺や、教会に行く事が好きだったが、今は、ベットの中でうずくまっている。
座禅ではなく、ふて寝に近い。
それでも、昼間は、いつも来客か、会議で喋り続けているので、孤独で静かな時間は内心の時間でもある。
この日記は、湖山の仲間への語り掛けでもあるし、心の底への自問自答でもある。
はるか昔、私は、躁鬱ではないかと、親しい精神科医に食事をしながら、相談した事があった。
返事は、一刀両断。
湖山さんほど、よく食べる躁鬱病患者はいないと、言われた。
即決の確定診断だった。
なるほど。
痩せてきたら、もう一度相談してみよう。
パルスオキシメーター 98・97・97
体温36.5 血糖186
元高校文通の友の会会長 代表 湖山 泰成
ーーーーーーー