一日中、カッチーニのアヴェ・マリアを聞いている。
ネットで、世界中のバイオリニストの演奏を聴ける。
繰り返し、繰り返し、繰り返し、終わる事なく。
仕事は、ネットで報告書を読んで、メールで返信するだけ。
返事は、了解です、ご苦労様、任せます、そればかり。
たまの、艦長会議メンバーから、励まされるお便りは嬉しい。
でも、殆どは、事故、事件、不祥事の報告。
たまに、交通事故もあるが、駐車場で接触したくらいで、人身事故は殆どない。
電話で、仔細を確認するが、担当幹部は、申し訳ありませんの謝罪ばかり。
そんな言葉を聞きたくて、電話をしているわけではない。
叱りたくて、電話をしているわけではない。
迅速な対応、対処が必要だから連絡して事実確認をしているのだ。
私への謝罪と反省は、事件処理の後の調査委員会、懲罰委員会の後で良い。
それよりも、火を消す事が先。
事故事件にあたった現場職員をフォローし、ケアするのが、上司の仕事。
最近は、記録テレビカメラを施設内に設置しておいたお陰で、介護事故原因の究明が早い。
お陰で、職員を守る事ができた事例が多くなった。
勿論、職員の不祥事の証明となった事件もある。
父が言っていた。
私を誤魔化す事は出来ても、天は誤魔化せない。
神と言わないところが、キリスト教徒になり損なった、父らしいセリフ。
今聴いている、通称、カッチーニのアヴェ・マリアは、実は、作曲者は、冷戦時代のロシアの作曲家。
あの、そそる哀愁のメロディは、社会合理主義に相応しくないと、国家権力が弾圧をしたらしい。
作曲家は、身を守る為に、過去の作曲家の作品として発表された。
今の湖山では、そんな恐れはないはず。
でも、責任を取らず、部下のせいにする幹部は悲しかな、存在する。
監督者が、自ら処分をするのを逃げたくて、私に事務的な報告しかしない無責任幹部。
報告だけで、責任をたらい回しにする組織。
一方、最高責任者の私は、哀愁をそそられるメロディに浸っている。
曲後半の盛り上がりで、自分の気持ちを鼓舞しようとしているのだが。
布団を被って、バイオリンの音に浸っている老人は、箱舟で彷徨う動物と同じだ。
今を生き延びて、新大陸に辿り着くまで、天に祈るだけだ。
来週からは、竣工式で、久しぶりに、現場に行く。
楽しみにしている。
孤独は嫌いだ。
本日職員新規PCR検査陽性者0名
ご苦労様です。感謝いたします。
今朝のパルスオキシメータ 96・97・97
食前血糖 150
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