【銀座湖山日記/5月6日】 母と子供の親子の日

【銀座湖山日記/5月6日】 母と子供の親子の日

子供の日は、神奈川の介護2施設と、母子施設を回った。
介護2施設では、イベント食を試食した。
つまりダブル昼食。
最初の施設では、赤飯に筍。
次の施設では、さくらうどんに、鰹の刺身。
どちらも、味がしっかりしていて、塩分も遠慮してなかった。
どちらも、筍が柔らかく煮てあり、美味しかった。
つまり、素材と出汁の味わいをしっかりと感じた。
デザートもお手製。
どちらも完食。
食べ切れるかどうか心配したが、無用だった。
営養師同士が、配慮して、メニューが重ならないようにしてくれたのだ。
湖山の満貫全席。
評価も、どちらも96点とした。
四捨五入で、100点だ。
何よりも、食べる者の状況と気持ちを配慮し、メニューを構成した事が嬉しかった。
両者、競う必要がないのだ。
みんな違って、みんな良い、みんな美味しい。
全国、湖山の施設での昼食は、皆メニューが違う。
地産地消。
それより、作り手も食べる人も皆違うのだから。
満腹満悦の状態で、子供の日のイベントのある母子施設に立ち寄った。
お菓子とケーキを車一杯乗せて。
玄関のポールに、鯉のぼりが、泳いで、は、いなかった。
風が全くないので、鯉が直立不動に見える。
だから、私は、施設のホール天井に、横に吊るす。
天井に泳ぐ鯉の姿を、床から見上げる。
天候に関係ないので、1年中吊るしておきたいくらい。
ロビーで、子供が、兜を被って記念撮影をしていた。
1歳の赤ん坊も、お母さんに抱かれて眠っていた。
この子にも、湖山のオムツが支給されているはずだ。
湖山では、1年中、母と子供の親子の日。
お父さんの日をどうすべきか、考えねばなるまい。

長年の友人から、母親を看取ったとの連絡があった。
我が身の場合を思い起こせば、喪失感は、思った以上に重い。
父は、亡くなっても、我が身と一体で共に戦っているが、母は、まさしく、天上に行ってしまったと感じるのだ。
手の届かない天に。
その分、赤ん坊の時に、一日中抱きしめていてくれたのだと思う。
両親の死を受け入れる事が出来て初めて、子供から大人になるのだと思う。
病院会の院長先生も、両親が御健在の時代は、やはり、ジュニアだった。
仕草が、面構えが。
でも、医師として、自分の親を看取った医師は、その後何かが変わる。
初めて、一人前の医師の顔になる。
私は、一生、息子のままでいたい。
私は、親を看取ったはずなのに、未だ両親の死を受け入れられない。
今も、自分が幼稚園児だった頃の両親を思い出す。
後悔と懺悔ばかりだ。
若い頃は、これほど園児の笑顔が可愛いと感じる事はなかった。
だけど、自分の老いだけは、充分受容できている。
老いると、自分自身への関心毎がなくなってくる。
服もネクタイも、靴も買わなくなる。
自分自身は、もう、変わらなくても進歩しなくても成長しなくても良いと思うのだ。
その分、子供や若者の成長が、我が事より嬉しい。
魂が、やがて、肉体離脱する予兆だろうか。
それなら、受け入れても良いと思う。
外が明るくなってきた。
連休最中でも、今日は、病院会の朝食会なので、精神科の先生に相談してみようか。
連休は辛い。

本日職員新規PCR検査陽性者1名
ご苦労様です。感謝致します。

今朝のパルスオキシメータ 96・96・98
食後血糖 197

毎日が我子供の日 代表 湖山泰成

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