子供の日は、神奈川の介護2施設と、母子施設を回った。
介護2施設では、イベント食を試食した。
つまりダブル昼食。
最初の施設では、赤飯に筍。
次の施設では、さくらうどんに、鰹の刺身。
どちらも、味がしっかりしていて、塩分も遠慮してなかった。
どちらも、筍が柔らかく煮てあり、美味しかった。
つまり、素材と出汁の味わいをしっかりと感じた。
デザートもお手製。
どちらも完食。
食べ切れるかどうか心配したが、無用だった。
営養師同士が、配慮して、メニューが重ならないようにしてくれたのだ。
湖山の満貫全席。
評価も、どちらも96点とした。
四捨五入で、100点だ。
何よりも、食べる者の状況と気持ちを配慮し、メニューを構成した事が嬉しかった。
両者、競う必要がないのだ。
みんな違って、みんな良い、みんな美味しい。
全国、湖山の施設での昼食は、皆メニューが違う。
地産地消。
それより、作り手も食べる人も皆違うのだから。
満腹満悦の状態で、子供の日のイベントのある母子施設に立ち寄った。
お菓子とケーキを車一杯乗せて。
玄関のポールに、鯉のぼりが、泳いで、は、いなかった。
風が全くないので、鯉が直立不動に見える。
だから、私は、施設のホール天井に、横に吊るす。
天井に泳ぐ鯉の姿を、床から見上げる。
天候に関係ないので、1年中吊るしておきたいくらい。
ロビーで、子供が、兜を被って記念撮影をしていた。
1歳の赤ん坊も、お母さんに抱かれて眠っていた。
この子にも、湖山のオムツが支給されているはずだ。
湖山では、1年中、母と子供の親子の日。
お父さんの日をどうすべきか、考えねばなるまい。
長年の友人から、母親を看取ったとの連絡があった。
我が身の場合を思い起こせば、喪失感は、思った以上に重い。
父は、亡くなっても、我が身と一体で共に戦っているが、母は、まさしく、天上に行ってしまったと感じるのだ。
手の届かない天に。
その分、赤ん坊の時に、一日中抱きしめていてくれたのだと思う。
両親の死を受け入れる事が出来て初めて、子供から大人になるのだと思う。
病院会の院長先生も、両親が御健在の時代は、やはり、ジュニアだった。
仕草が、面構えが。
でも、医師として、自分の親を看取った医師は、その後何かが変わる。
初めて、一人前の医師の顔になる。
私は、一生、息子のままでいたい。
私は、親を看取ったはずなのに、未だ両親の死を受け入れられない。
今も、自分が幼稚園児だった頃の両親を思い出す。
後悔と懺悔ばかりだ。
若い頃は、これほど園児の笑顔が可愛いと感じる事はなかった。
だけど、自分の老いだけは、充分受容できている。
老いると、自分自身への関心毎がなくなってくる。
服もネクタイも、靴も買わなくなる。
自分自身は、もう、変わらなくても進歩しなくても成長しなくても良いと思うのだ。
その分、子供や若者の成長が、我が事より嬉しい。
魂が、やがて、肉体離脱する予兆だろうか。
それなら、受け入れても良いと思う。
外が明るくなってきた。
連休最中でも、今日は、病院会の朝食会なので、精神科の先生に相談してみようか。
連休は辛い。
本日職員新規PCR検査陽性者1名
ご苦労様です。感謝致します。
今朝のパルスオキシメータ 96・96・98
食後血糖 197
毎日が我子供の日 代表 湖山泰成
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