【銀座湖山日記/3月13日】ヘリコプター3機編隊発進

【銀座湖山日記/3月13日】ヘリコプター3機編隊発進

東日本大地震 3・11 金曜日
3・12 土曜日 一日中、寝室に篭ってカーテンを閉め切って、電話をかけまくった。
官邸補佐官や、国土庁や、ボランティアの救援ヘリコプターNPOに。
3・13 日曜日 明け方、東京都と埼玉県の県境の空港に馳せ参じて、3台のヘリコプターで飛び立った。
チョコレートやお菓子を満載して。
気仙沼の老健目指して。
原発の煙を越えて。
海岸を漂流する多数のものを見ながら。
それが、遺体の群れだと気がついたのは、だいぶ先の事だ。
人間は、あまりにショックな事は人間は理解を拒否する。
iPadのグーグルマップを頼りに、施設を見つけた。
災害時に施設に行くには、緯度経度が頼りになるとは、その時に学んだ。
道路は通行できない。
山間地で、空から自分の施設を探すのは、難しい。
似たような、施設、学校と区別がつかない。
緑の森の中に、白い建物。
外壁を青か赤にしておけば良かった。
駐車場に強制着陸したのは良いが、帰りの分のヘリのガソリンを調達できず、気仙沼から帰れなくなり、救援隊自身が二次遭難した後の顛末は、次回としよう。
その事を事実の記録として書き残すのは大事だが、それだけでは十分ではないような気がする。
その日は、東北幹部と全く連絡はつかない。
ヘリで飛んで行く事を誰にも相談できない。
父聖道理事長にも、秘密で家を抜け出した。
後日の、代表行方不明の大騒ぎは、当時の経営理事に聞いてください。
経験は、実体験した人間にしかわからない。
他人に伝えられるのは、その時の感覚体験をシンボライズさせたものだ。
その感覚を学び、共感し、我がものとして共有できなければ、次世代の湖山Gの幹部にはなれない。
できない者には、なって欲しくない。
震災体験をシンボライズしたのが、湖山の魂。
その魂をシンボライズされたのが、代表である。
君は、湖山の代表となれるか。
なって欲しいと願い、この手紙を、11年後の今日、この日に贈る。

本日職員新規PCR検査陽性者1名
ご苦労様です。感謝致します。

今朝のパルスオキシメータ 99・99・99
食後血糖 244

空軍提督 代表 湖山泰成

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