【銀座湖山日記/1月15日】医師の涙

【銀座湖山日記/1月15日】医師の涙

父は、医師として、救急病院の院長として、決して人前で、自分の涙を見せる事はなかった。
24時間、365日病院に詰めている医師にとって、患者の死は、敗戦であり、終戦であったのだと思う。
外来、人間ドックの判定の最中に、救急車が意識不明の患者を運んでくる。
検査結果が良く、元気で、喜んでいるドック受診者を診察室にほっといて、救急車が来ると、処置室に飛んでいく毎日。
救急患者は、3時間、3日で、デッド・オア・アライブ。
最大の救命努力の末に、亡くなった直後に、号泣の家族に囲まれるのは、辛い。
それでも、父は、常に冷静で、感情を乱す事はなかった。
主治医として。プロとして。
その反動なのか、普段は、いつもアルカイック・スマイル。
特に、病院のスタッフには優しかった。
誰にも温厚な笑顔だった。
医者と、私には厳しかったように、思うが。
父は、身内の死のも、冷静で、涙を見せる事はなかった。
唯一は、祖母が亡くなった時。
深夜、真っ暗な寝室から、号泣しているのが聞こえて来た。
父らしからぬ喚き声で、恐ろしくて、寝室に入る事ができなかった。
父が私に涙を見せるようになったのは、亡くなった母を亡くしてからだ。
私と会うと、最後は、何時も、母を偲んで泣いていた。
私も辛くて、泣いて帰る事になる。
子供の時から、映画を観ては、小説を読んではすぐ泣く私は、何時も、父に怒られていた。
私にとっては、救急病院での仕事は、日々辛く、その事が、老人医療や介護に向かった理由だったのかもしれない。
救急病院の看取りと、老人病院での看取りとでは、文化が違う。
価値観が違う。
家族から求められているものが違う。
そして、職員の苦労も違う。
老人医療では、死を予定して、準備する事が出来る。
でも、救急医療では、最期まで、諦めてはいけない。
死を受け入れてはいけない。
処置室で、冷たくなった父親の手を触って、『まだ暖かい、まだ生きている』と泣き喚く娘さんを見ているのは辛い。
臨終を告げる事のできない医師は、只、只立ち尽くすのみだ。
葬儀屋の方が楽だと思ったことがある。
少なくとも、故人の死の原因との関わりはないからだ。
さて、自分はどのようにして看取って欲しいのか。
この仕事は人を看取る事だと、納得してきたつもりだ。
でも、他人の死の専門家はいても、自分の死の専門家はいない。
経験者に聞く事ができないからだ。
だから、死者を思い続けるのかもしれない。
だから、日々、両親に問いかけている。
そして、今日も。

本日職員新規PCR検査陽性者1名
ご苦労様です。感謝致します。

今朝のパルスオキシメータ 97・97・98
未だ生の専門家 代表 湖山 泰成

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