昔、昔、医療亡国論がまことしやかに言われていた。
医療費が膨大し続け、日本経済の足を引っ張る。
日本は、医療費の負担で、財政破綻が起こる。
など、など。
そして、人件費の高い医師でなくてもサービス提供できる、介護保健施設が誕生した。
その、財源も新たに、介護保険として生まれた。
でも、考えて欲しい。
子供が増え、学校教育予算が増えるからといって、制度・財源を分ければ良いと言うわけではない。
小中学校の義務教育と、高校大学の財源を2つに分けたところで、合わせた予算は変わらない。
それどころか、校舎建設費や、運営管理費は、合理化がならず、増えるだけだ。
本人家族にとっても、費用負担が安くなるわけではない。
それどころか、卒業入学受験回数が増えて、お金もかかる。
受験産業と、制服業者は、儲かるだろうが。
中高一貫教育の良さは、高校受験に消耗する必要がないからだ。
病院をレベル毎に分け、介護サービスも建物設計毎に法律で規制し、融通、合理化を阻んでいるのは、政策・法律だ。
それが、突然に野戦病院と言い出す。
政治家よ、官僚よ、自ら、野戦病院を見てきて欲しい。
そこに、あなたは、あなたの家族を託せるか。
家族として、我慢できるか。
40年前の、大部屋点滴付老人病院を見た人間として、現在までの、高齢者医療改革は素晴らしかったと思う。
だから、私は、お国の政策に沿って、あらゆる高齢者医療、介護施設を先頭を切って開設してきた。
でも、そのガラス細工のような細かい政策、専門性の施設体系は、コロナとの戦いの中では、有効でなくなっている。
使い勝手が悪くなっている。
介護も生活もある、医療施設が求められている。
1人の人間の肉体も精神もアバウト。
日々の人生、生活の中に、医療も介護も、愛情も必要。
湖山は、法律施設制度の枠を超えて、医療介護サービスを提供してきた。
これからは、更に、職員家族の生活保障の為に、介護保育生活サービスを考える。
親も、子供もいない私だからこそ、その仕事を担う。
湖山の職員の為に、自分の意義ある人生の為に。
しかし、一方、期待された、肝心の新しい財源の介護保険は、予想以上に急速に成長し、国民と地方自治体の負担を増やしている。
老人保健施設の施設長は、当初は、看護師でも良かったはずなのだが、結果は、医師でなくてはならにのが、実情。
老人保健施設は、社会的入院となった長期入院患者を受け入れ、在宅復帰を即す為の中間施設と説明された。
在宅の手前に置かれた施設のはずだった。
でも、現実は、殆どの老人保健施設は、病院併設で、病院の予備ベットとなっている。
老人保健施設のおかげで、病院病床は、稼働が高いが、老健は、赤字となっている施設が多いのではないだろうか。
地方においては、たった1名の施設長医師の確保ができなくなって来ている。
1人の人間には、患者には、医療も介護も生活も全て必要。
寿命が延びて、慢性疾患、重度介護が増えて来た。
コロナ対応としては、介護療養病床がもっとあっても良かったのではないかと思う。
私は、日本のコロナ発症が少なかったのは、日本特有の療養病床が多かったせいだと考えている。
ヨーロッパの老人ホームでは、多数施設内クラスターが発生して、多数の高齢者がコロナで亡くなった。
マスコミに、何故、日本の介護施設で、欧米のように爆発しないのかと聞かれた。
その都度、日本では、老人病院と言われる、療養病床が多いからではないか。
ナーシングホームと言うより、準医療機関と位置付けられるべき、老人保健施設がある。
更に、国民が低費用で、入所できる、重介護の特養ホームが充実しているからではないか、と答えた。
納得した記者はいなかったが。
国の政策論は、財源破綻を避ける為に、財政抑制の為の財源論が優先する。
また、それを理由に、消費税等で、国民負担を増やしてきた。
これからは、高齢者の医療自己負担が増える。
特養ホームも個室のみとなり、個室料を払うとなると、安価な高齢者住宅と料金は変わらない。
確かに、老人の利用は減り、財政負担は抑制される。
そして、日本の平均寿命は落ちる事になる。
それが、日本の政策の本音だと思う。
厳しい日本の現実だと思う。
公助を頼るな、自助で生きろと、お国は言うが、それは、酷だ。
湖山の職員家族には、湖山の公助を頼りにしてほしい。
その力を蓄える為に、今日も湖山の経営改善に奮起する。
本日職員新規PCR検査陽性者1名
ご苦労様です。感謝致します。
今朝のパルスオキシメータ 98・98・97
戦場の報道カメラマン ロバート・キャパとユージン・スミスに捧ぐ
開高健を思う 代表 湖山 泰成
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