介護保険創設の頃、老人保健施設は中間施設と呼ばれた。
病院と自宅の中間に位置し、在宅復帰を促す。
病床減反政策とも言える。
介護療養病床がなくなる時代の、その補完施設とも思えた。
でも、今はその言葉を聞く事はない。
老人保健施設は、全国経営難となっている。
地方の単体老健の過半数は赤字。
病院併設の老健は、病院病床稼働の調整ベットとなっている。
施設長医師も看護師もいる。
コロナ対応施設としても、ワクチン接種施設としても、有効だと思う。
だが、そう言う話は寡聞にして、聞かない。
中間という概念は幅が広い。
サービス範囲の確立は難しいのかもしれない。
私は、右手左手を大きく伸ばして、サービスのウイングを広げようと、何時も言う。
老健の受け入れ範囲は、病院と住宅の間のニッチではない。
時には、病院の患者を。
時には、高齢者住宅の生活者を。
オリンピック五輪の輪ではないが、サービス範囲が多少、重なり合って良い。
そうでないと、小学校卒業から中学校入学みたいに、年齢で厳格に施設移動しなければならない。
病状も、介護状態も、人間は曖昧模糊。
受け入れる施設の方も、融通無碍でないと、対応できない。
省庁再編ではないが、日本の施設制度は複雑すぎる。
コロナ対応施設の必要性から言って、全てを考え直す時だと思う。
新しい首相は、考えてほしい。
私が中学高校の頃は、月刊誌が花盛りで、中間雑誌とも言われた。
文藝春秋、中央公論、岩波、現代、時代、ミツテリーマガジン、SFマガジン、オール読物。
懐かしい。
一体、毎月何冊の月刊誌を読んでいたのだろう。
新聞と政治評論月刊誌と双方を熟読していた。
右にも、左にも極端に偏らない思想を中庸として大事にしていた。
今は、とんがった、際立った立ち位置が人気。
中間雑誌に掲載された、原稿用紙100枚くらいの論文を400枚に膨らまして、新書となる。
今は、新書が、週刊誌並みに出版される。
言論、思想にも、コンセプト明快なシンプル言説が人気。
多様性、包括境界領域研究などを志向する人はどこに行ったのだろう。
私は、何時も、広く、広く、考える。
視界は、遠く、遠くへと広がる。
でも、昨今の私は、目をつぶって、足元にうずくまりそうだ。
疲れが溜まっているのは間違いない。
本日職員新規PCR検査陽性者0
ご苦労様です。感謝致します。
今朝のパルスオキシメータ 98・98・98
週末休養中 代表 湖山泰成
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