【銀座湖山日記/9月26日】 中間はどこに行った

【銀座湖山日記/9月26日】 中間はどこに行った

4760981_s
介護保険創設の頃、老人保健施設は中間施設と呼ばれた。
病院と自宅の中間に位置し、在宅復帰を促す。
病床減反政策とも言える。
介護療養病床がなくなる時代の、その補完施設とも思えた。
でも、今はその言葉を聞く事はない。
老人保健施設は、全国経営難となっている。
地方の単体老健の過半数は赤字。
病院併設の老健は、病院病床稼働の調整ベットとなっている。
施設長医師も看護師もいる。
コロナ対応施設としても、ワクチン接種施設としても、有効だと思う。
だが、そう言う話は寡聞にして、聞かない。
中間という概念は幅が広い。
サービス範囲の確立は難しいのかもしれない。
私は、右手左手を大きく伸ばして、サービスのウイングを広げようと、何時も言う。
老健の受け入れ範囲は、病院と住宅の間のニッチではない。
時には、病院の患者を。
時には、高齢者住宅の生活者を。
オリンピック五輪の輪ではないが、サービス範囲が多少、重なり合って良い。
そうでないと、小学校卒業から中学校入学みたいに、年齢で厳格に施設移動しなければならない。
病状も、介護状態も、人間は曖昧模糊。
受け入れる施設の方も、融通無碍でないと、対応できない。
省庁再編ではないが、日本の施設制度は複雑すぎる。
コロナ対応施設の必要性から言って、全てを考え直す時だと思う。
新しい首相は、考えてほしい。
私が中学高校の頃は、月刊誌が花盛りで、中間雑誌とも言われた。
文藝春秋、中央公論、岩波、現代、時代、ミツテリーマガジン、SFマガジン、オール読物。
懐かしい。
一体、毎月何冊の月刊誌を読んでいたのだろう。
新聞と政治評論月刊誌と双方を熟読していた。
右にも、左にも極端に偏らない思想を中庸として大事にしていた。
今は、とんがった、際立った立ち位置が人気。
中間雑誌に掲載された、原稿用紙100枚くらいの論文を400枚に膨らまして、新書となる。
今は、新書が、週刊誌並みに出版される。
言論、思想にも、コンセプト明快なシンプル言説が人気。
多様性、包括境界領域研究などを志向する人はどこに行ったのだろう。
私は、何時も、広く、広く、考える。
視界は、遠く、遠くへと広がる。
でも、昨今の私は、目をつぶって、足元にうずくまりそうだ。
疲れが溜まっているのは間違いない。

本日職員新規PCR検査陽性者0
ご苦労様です。感謝致します。

今朝のパルスオキシメータ 98・98・98
週末休養中 代表 湖山泰成

ーーーーーーー

【銀座湖山日記】

http://koyama-cn.com/

e8afa6e7bb86e58685e5aeb92-e697a5e69cachpe794a8

● https://www.facebook.com/koyama7412