【銀座湖山日記/8月25日】名を惜しみ、名を捨てる

【銀座湖山日記/8月25日】名を惜しみ、名を捨てる

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故聖道理事長の生誕日は、8月20日。
新しい理事長車をレクサスにした時に、ナンバープレートを0820にした。
私の誕生日の0416にしましょうと言われたが、流石に恥ずかしくて、父の誕生日にした。
誰も気づかなかったが、父は、初乗りをした時に、ナンバーを見て微笑んだ。
気がついてくれたのだ。当たり前だが。
そのナンバーを見る度に、私が運転をして、父と銀座病院に通った頃を思い出す。
父は、運転や道の選び方にうるさく、バックシートドライバーの典型。
通勤は、毎日同じ道、同じ車線でないと落ち着かない。
私は、毎日わざと別の道を走り、別の街並みを見てみたいと思う人間だから、父のこだわりを不思議に思っていた。
毎日同じスケジュールで、毎週末に夫婦で行くゴルフ場も何時も同じ。
色んなゴルフ場を回りたいとは思わないらしい。
そのおかげで、夫婦共々同じショートホールでホールインワンを成し遂げた。
母の方が早かったので、その時は夫婦喧嘩になりかけた。
ゴルフは、毎週、支払いを賭けていたらしい。
ゴルフだけは、真剣勝負だったのだ。
父は、売名行為が嫌いだった。
と言うより、軽蔑していた。
総理の主治医として、本を書きませんか、とか、講演しませんかと言うのは、全て断っていた。
普通なら、受けるポストも全て断っていた。
ロータリーの会員になるのも、断った。
現職の救急病院の院長だから。
そのおかげで、私は、当時最年少で、銀座のロータリーの会員になった。
父の代理だったのです。
父は、いつ、患者から連絡があるかも知れない。
だから、お酒も薄いの一杯だけ、水を足したし、飲んでいた。
実際、日曜日の朝にゴルフ場で、緊急の呼び出しがかかり、ティーアップしたところで退散した事が2回あった。
パトカー先導で、往診。
その方は、総理大臣でいらしたが。
深夜、休日に患者からの電話を受ける事が多かった。
日曜日に家族でドライブに行く日は、早朝、病院によって、患者の容体を診て行く事が多かった。
それが医者だと、子供の時分は思っていた。
今の医者は違うと理解しているが。
銀座病院も、銀座湖山病院とはしないと、話し合った。
銀座事務所のある、銀座メディカルビルも、湖山ビルとはしないと言うのが、父と私の暗黙の了解だった。
名のある患者の主治医は、無名であるべし。
父は、名を惜しみ、我が名を捨てるのを、人生訓としていたのだと思う。
湖山医療福祉グループから、湖山の名前がなくなるのは、湖山が本当の本物になった時だ。
その時は、もう、私はいないはずと念じている。

本日職員新規PCR検査陽性者0
ご苦労様です。感謝致します。

今朝のパルスオキシメータ 97・97・97
創業代表者 湖山泰成

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【銀座湖山日記】

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