【銀座湖山日記/7月1日】新艦長会議招集

【銀座湖山日記/7月1日】新艦長会議招集

4956222_s
念願の、新任の特養ホームの施設長・福祉施設長のオンラインミーティング第1回を開催した。
施設は船。
だから、艦長会議と称している。
法人が、違い、コロナで研修会や入職式などの集る場がなくなったので、企画した。
オンラインでも、懇談の場を設けよう。
私も、銀座の執務室からの参加。
皆、若く、意欲的で明るい。
第1回は、皆の自己紹介で終わってしまった。
皆、大手医療法人の出身で、湖山の自主的文化を良しとして、湖山に転職してきた幹部職員ばかり。
皆、優秀で、施設運営実績を上げ、部下の離職も少ない。
その実績を誇るも、皆、もっと湖山Gで勉強したいと言う。
湖山に対する思い入れは深く、意欲はとても高い。
代表の若い時の話を聞きたいという人が多い。
私は、28歳で、実質倒産した銀座の救急病院を2年で再建した。
そこから、私の病院経営者としての人生が始まった。
若い自分の生命保険を担保に初回のボーナスを払った。
2年間1日も休まずに救急病院の事務長を務めた。
入札で全ての取引業者を変えた。
リベートをもらっていた幹部が皆辞めて、若手が幹部となった。
初年度年末の全利益は400万円。
150人の職員が100人に減っても、黒字になった。
残った職員が必死に病院を守ってくれたからだ。
全額決算賞与として、1人4万円を現金で手渡した。
そしたら、厨房、清掃の年配女性スタッフに、泣いて手を握られた。
医師、看護師と同様の病院職員として、初めて同等に扱われたからだと言う。
それが、経営者としての最初の成功体験、感動。
2年で職員の7割が変わった。
無知な若い私は、病院会の先輩の院長、事務長に親切に教えてもらう事ができた。
父は、文句一つ言わず、大晦日正月も只々ひたすら診療に専念した。
私の人生において、あの時以上に辛い事はなかったと思う。
未経験の新人艦長の初航海は、荒波の船出だった。
苦労を苦労と認識できないくらい、無知で若かった。
新艦長の君達に、あのような苦労は絶対にさせない。
その為に私がいる。

本日新規職員PCR検査陽性者0
ご苦労様です。感謝致します。

今朝のパルスオキシメータ 97・98・98
提督 湖山 泰成

ーーーーーーー

【銀座湖山日記】

http://koyama-cn.com/

e58aa8e794bb-e6898be58abfe7aeade5a4b4-e68c89e994ae-e68c87e7a4ba