念願の、新任の特養ホームの施設長・福祉施設長のオンラインミーティング第1回を開催した。
施設は船。
だから、艦長会議と称している。
法人が、違い、コロナで研修会や入職式などの集る場がなくなったので、企画した。
オンラインでも、懇談の場を設けよう。
私も、銀座の執務室からの参加。
皆、若く、意欲的で明るい。
第1回は、皆の自己紹介で終わってしまった。
皆、大手医療法人の出身で、湖山の自主的文化を良しとして、湖山に転職してきた幹部職員ばかり。
皆、優秀で、施設運営実績を上げ、部下の離職も少ない。
その実績を誇るも、皆、もっと湖山Gで勉強したいと言う。
湖山に対する思い入れは深く、意欲はとても高い。
代表の若い時の話を聞きたいという人が多い。
私は、28歳で、実質倒産した銀座の救急病院を2年で再建した。
そこから、私の病院経営者としての人生が始まった。
若い自分の生命保険を担保に初回のボーナスを払った。
2年間1日も休まずに救急病院の事務長を務めた。
入札で全ての取引業者を変えた。
リベートをもらっていた幹部が皆辞めて、若手が幹部となった。
初年度年末の全利益は400万円。
150人の職員が100人に減っても、黒字になった。
残った職員が必死に病院を守ってくれたからだ。
全額決算賞与として、1人4万円を現金で手渡した。
そしたら、厨房、清掃の年配女性スタッフに、泣いて手を握られた。
医師、看護師と同様の病院職員として、初めて同等に扱われたからだと言う。
それが、経営者としての最初の成功体験、感動。
2年で職員の7割が変わった。
無知な若い私は、病院会の先輩の院長、事務長に親切に教えてもらう事ができた。
父は、文句一つ言わず、大晦日正月も只々ひたすら診療に専念した。
私の人生において、あの時以上に辛い事はなかったと思う。
未経験の新人艦長の初航海は、荒波の船出だった。
苦労を苦労と認識できないくらい、無知で若かった。
新艦長の君達に、あのような苦労は絶対にさせない。
その為に私がいる。
本日新規職員PCR検査陽性者0
ご苦労様です。感謝致します。
今朝のパルスオキシメータ 97・98・98
提督 湖山 泰成
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