【銀座湖山日記/5月12日】いつもと違う朝

【銀座湖山日記/5月12日】いつもと違う朝

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父湖山G聖道理事長は、富士市の湖山リハビリテーション病院に6年間入院していた。
親を入院させられる病院を作ろうとスタッフと頑張っていて実現した。
普通の個室だが、1番奥の部屋で、向かいの部屋も開けてあった。
私が泊まるためだ。
私が、行くのは、起工式や竣工式に合わせて、病院に立ち寄るくらいだった。
行くと、久しぶりなので、病室でよもやま話や、湖山の現況報告をするのだが、父は、いつも笑って言う。
もういいよ。
聞いているよ。
頑張っているね。
これ以上無理しないように。
もう、部下に任せて少しお前も休みなさい。
さあ、泰成は忙しいだろうから、もう良いから帰りなさい。
そう言われれて病室を追い出されるのが常だった。
15分もいなかったのではないだろうか。
でも、いつも明るく元気な父を見て、湖山病院のスタッフに感謝し、湖山Gはいいなあ。
父も、私も、湖山の一員で幸せだななあ、と何時も感謝していた。
その部屋は今でも開けてあるそうで、いつでも代表をお待ちしていますと、事務長に言われていて、安心しているのだが、もう少し、先かななあ。
私のスケジュールはグループにオープンで病院事務長から、常に湖山の動きや私のスケジュールは報告を受けたいたので、全てを知っていた。
病院事務長や、看護部長が、話し相手で、その人から、聞くと、父は全てを把握していて、湖山の成長を喜んでいてくれた。
でも、私の無理な仕事ぶりや、出張や、成長を心配していたようだ。
父は、リハビリ自転車で、毎日全館を回っていた。
リハビリの担当スタッフの健康状態も心配していた。
結婚した時には、我が子のように喜んでいた。
湖山病院のスタッフが我が子のように、ぽっぽの幼児が孫のように可愛がっていた。
何時も、医者の働きぶりには怒っていた。
昔の東大や虎ノ門病院とは違います。
と、私は話をしたのだが、医師は24時間365日医者だと言う、父の信念は揺るぎもなかった。
でも、今の時代には通用しない。残念だが。
そのギャップを埋めるのが私の仕事と思っていたのだが。
父は仕事には優しく、私生活には厳しかった。
つまり、堅実に生きよ。生活しよ。
と、言う話で、バブルの時にはわからなかった。
でも、今は、父や母の言う通りだったななあ。
間違っていなかったななと思う。
母が亡くなって10年。父が亡くなって8年。
今、私は何をして要るのだろうか。
父が私を支えてくれたように、君達を支えているのだろうか。
そう、悩むグロスプランミーティングだった。
父は、子供のいない私を責めることはなかった。
いなくて良かったんだよ。
皆が継いでくれるよ。
父は二人の時に何時も言っていた。
何時も、ぽっぽの子供にあげるお菓子を買って来いと言われた。
生意気で言うことを聞かない泰成より、よっぽど可愛かったに違いない。
その気持ちはわからないでもないが。
もう少し泰成を可愛がってくれてもよかったのに。

何時もと同じ朝。
でも今年は、体制、役員人事が変わる。
父が望む人材を登用したい。
父が言うように、湖山は若く明るくしたい。
その者に道を開けたい。

志のない倫理のない人間は去れ
そう言う一年になる。
私の仕事だから。
でも、辛いね。
父が生きていたら、どうアドバイスをしてくれだろうか。
この日記のアンケートが多数送られてきた。
勿論、励ましのメールだが。
よく知っている人もいるが、初めての人もいて、感激した。
現場で苦労している人ばかりだ。
予想通り、現場に共感のない人からは返事がない。
そういう人は去れ。
湖山にいる資格はない。
来週から、返答のない、私の手紙に答えない人に、順番に電話して、聞いてみようと思う。
君は大丈夫でも、君の部下は大丈夫か。
その事を何時も心配している。
父は、私の事など心配していなかった。
私に振り回される、君達の事を心配していた。
今日も、私のテンションは上がりそうで心配している。
私は君たちを叱っているのではない。
父にどう答えるか苦しんでいるのだ。
今も。

本日職員新規PCR検査陽性2名
ご苦労様です。感謝いたます。

今朝のパルスオキシメータ 95・97・96 深呼吸すると上がります。

笹舟の湖山泰成

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【銀座湖山日記】

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