思い出しても、母にカーネーションを送った事は数回しかなかったと思う。
そう言う事を母はひどく恥ずかしがり、私もそうだった。
父とのゴルフ以外は、外出も望まず、いつも、自宅で掃除洗濯の日々が楽しそうだった。
母の記憶の姿は、着飾るよりも、エプロンに、買い物籠の姿
洗濯が好きで、屋上の物干しに洗濯物を干すのが本当に楽しそうだった。
屋上にゴルフ練習場も作ってあったが。
母は女子大生の時に父とお見合い結婚した。
父も東大医学部の学生で、親がかりのお見合い学生結婚である。
なんと時代的。
母は、女子大から専業主婦。
でも、父との人生は幸せそうだった。
父との週末ゴルフ生活のおかげ。
人生の悩みの大部分は、経営者の道を歩む息子の事。
いつかは、親子破産するのではないかと真剣に心配していた。
大きな財産、借金での不動産に生理的に不信感を持っていた。
父のサラリーをコツコツと貯金した現金以外は、株も投資も信用していなかった。
毎年、誕生日に母のお気に入りのレドロの人形をプレゼントする以外は、物を欲しがらなかった。
父が海外出張する度に買ってくるハンドバックも実は迷惑がっていた。
センスが違うのである。
確かに、父はそういうセンスはなかったと思う。
最近、地下倉庫を改修したが、そのお土産鞄が山のように出てきた。
結局、使いようもなく、全部破棄した。
親の遺品の整理処分位面倒なものはない。
私は、今の内に、自分で処分しなければなあ、と思う。
事業の借金は整理しようがないので残していきます。
個人の物は本しかないので、施設に寄付して終わりにします。
私の初任給はそのまま母に渡した。
親はそのお金の半分で、下着を買う、とかの風習があったように思う。
実家同居の居候だったので、生活費にもならない。
エビタイだね、と、親子恥ずかしがって笑った。
その後、毎日深夜タクシーで帰宅する息子は、お釣りの小銭を茶筒缶に入れて貯めた。
一杯になるとかなり重い。
それを、いつも、母に進呈した。
朝食の卵代です。と言って。
その時の母は、1番嬉しそうだった。
勤労のサラリーを1番大事にしていた。
祖母の教育だと思う。
母は、子供の教育を失敗したと思ったはずだが、天性の自由人で落胆する事もなかった。
それぞれ、自分の人生、自分の責任。
母は、自分の老後を子供に頼る事はなかった。
あまり、信用していなかったのだと思う。
でも、自分の老後の資金を自分で使うことなく、病院で亡くなった。
人生は、自分の思うようにはならない。
ままならない。
自分を嘆かず、他人を恨まず。
淡々とした、日々の充足した普通の生活。
最期の闘病生活以外は、普通の普通に幸せな人生だったと思う。
未だに、息子の事は心配していると思うが。
家には、母の遺品のレドロの人形がたくさんある。
母の面影となっている。
これ以上のカーネーションは、辛い。
本日職員新規PCR検査陽性0
ご苦労様です。感謝致します。
今朝のパルスオキシメータ 98
コロナ接種2回目で緊張しています。
湖山G代表 湖山泰成
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