【銀座湖山日記/3月21日】カルテ倉庫

【銀座湖山日記/3月21日】カルテ倉庫

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38年前の銀座の救急病院の話。
実質破綻した救急病院の契約を見直して行った。
継承の2ヶ月前に、院長の高級車リンカーンをリースで買い替えたばかり。
運転手付き。
損切りして、車を売却し、運転手も再雇用はしなかった。
事務長は有能で悪徳、前事務長の顧問は善良で無能だと思ったが、両方とも、無責任であった事は間違いない。
前理事長は、この身内の2人を信用して、自宅を担保に入れて、失った。
2人の事務長は、継続雇用を望んだが、勿論断った。
2人は、自分の責任を全く自覚していなかった。
白衣契約が、職員数の2倍あるので、おかしいと思ったが、事務長の専権事項で、事務長の利権となっていた。
退職者の契約を切らず、新入職員を新規契約とし、契約数を増やして行ったのだ。
入札で業者を変えた。
名刺も相場の2倍の値段だった。全ての印刷費が高かった。
レントゲンフィルムも、検査業者も、薬問屋も、全て入札で変わった。
そうしたら、リベートをもらっていた、部長クラスが皆、辞めていった。
課長クラスが昇進し、私と一緒に立て直しに立ち向かった。
全取引先と幹部が変わった。
その後、頼まれて、赤字の病院を見る機会が増えたが、多くは、事務方が悪徳か、無責任が原因。
幾ら、医師と看護師が走り回っても、幹部のリベートで消えている。
理事長、院長が幾ら患者を増やし、医療収入を増やしても、割高な検査料、委託費で消えてしまう。
薬については、医局が、学会接待で懐柔されている。
レントゲンフィルムを入札でメーカーを変えるに至っては、検査部長が、他社に変えたら、信用できる写真は撮れないと反対した。
全てが、大学仕様で、分不相応、親方日の丸、放漫経営。
医師看護師が働けば働くほど、周辺業者は儲かり、一部の幹部だけが、リベート接待で潤うのみ。
病院は構造赤字になって行く。
健診で眼科もあったので、銀座の有名メガネ店に挨拶に行ったら、店長に、今度はどなたにリベートを渡したら良いのでしょうと、聞かれた。
呆れたが、まずは、その分をお客に安くしてくださいと頼んだ。
全てがこの調子。
医療会は呆れた世界だと思った。
今は昔の事だが。
警備会社と清掃の契約も大企業並みだったので、事務当直は、男子事務員で交代で当たった。
1回、1万円のアルバイトは、全て、ビール代に消えたと思う。
私は木曜日の夜の当番だった。忘れられない体験となった。
銀座の救急病院の深夜は、まるでテレビドラマだ。
今は、国会議員になっている立派な政治家も、縁があって、学生の時分に、私と一緒に、当直アルバイトをした。
初日に、頭から血を流している救急患者が運び込まれて、ショックだったと、未だに言われる事がある。
政治家として、良き人生経験であったと祈るばかりだ。
清掃と給食も、会社契約を破棄して、直営に切り替えた。
スタッフは、年配の女性ばかりだが、皆、元気で明るい働き者ばかり。
残った食材や、食事を勿体無いので、貰って帰りたいと言われたのを叱った。
期限切れの薬を職員が持って帰る事は許されるか、居酒屋ではない、と諭した。
その時だけは、子供のようにシュンとしていた。
何故、そんな古い事を昨日のように覚えているのだろう。
若造の私は必死だったし、毎日が外国に行ったみたいに新鮮だったからだ。
次は、倉庫の賃料が高かった。
通年であるから、かなりの費用になる。
健診ドックもあったので、過去のカルテの量が半端ではない。
近くのビルの最上階を借り切っていた。
エレベーターのない古いビルで、若い事務員が1人専業で担当していた。
毎日翌日の予約の患者の古いカルテを探し出して、運ぶのだ。
そのビルが建て直しと成り、他の場所を探す事になった。
院内を探した。
屋上にプレバブの倉庫があった。
中を開けてみると、使われていない布団や、壊れたベット、検査機器が詰まっていた。
2度と使われる事がないのに、もったいないと倉庫に放置されていた。
捨てるのさえ、面倒と、さぼったとしか思えない。
管理者、事務長が無責任だと全てがこうなる。
断捨離の実行である。
全てを捨てて、カルテ倉庫とした。
事務員1名が病棟に回る事ができた。
男子事務員は当直でアルバイトが院内でできるようになった。
診療内容と収入は変わらないが、半年で起動に乗って来た。
放漫経営を許さず、実直に真面目に働く。
労働に見合った、給料を貰う。
それだけだ。
我が人生。1回きりの断捨離経験である。
今は、実家の断捨離が出来ず、悩んでいる。

本日新規職員PCR検査陽性0
御苦労様です。感謝致します。

今朝のパルスオキシメータ 97
湖山G代表 湖山泰成

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【銀座湖山日記/3月21日】

【解説】