【銀座湖山日記/3月15日】当事者だから出来る事

【銀座湖山日記/3月15日】当事者だから出来る事

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私は、何故、3・13 に気仙沼にヘリで飛ぶ事が出来なたのか。
気仙沼の介護施設の経営当事者だったから。
自分の施設に責任者として、至急物資を供給しなければならなかったから。
給食業者でも、運搬業でも、行政でも、ボランティアでもなく、施設運営当事者だったから。
富士の病院の救急車が、何故、静岡から福島まで、閉鎖中の高速道路を走る事ができたのか。
東海大震災を想定して、病院の救急車両として、震災運航車両の許可を取っておいたからだ。
その前に、東日本大震災があるとは、想定しなかったが。
どうやって、ヘリを調達したのか。
サンダーバードを設立以来、様々な災害支援をしていたので、ヘリコプターで遭難救援支援を行っていたボランティアヘリを紹介してくれる人がいたのだ。
必死であれば、救いの神が現れる。
官邸に知っている人がいる。
その一言を頼りに、何十本電話をかけたか。
その飛行許可、つまり、東京の離陸許可と、気仙沼の着陸許可の二つがいるのだが。
丸一日、自宅で只只待ち続けてた。
信じるというより、すがっていた。それしかないのだから。
奇跡は奇跡的には起こらない。
無限の自己努力と、他力の発露だ。
無事帰京の後は、同様の救済活動を支援する事になった。
アジアの各国から、支援物資を乗せた船が日本に来るのだが、物資を上陸させられない。
陸揚げ許可を得られないのだ。
皆、外国から善意で莫大な資金をかけて、被災地を救う為に、再度の地震津波を恐れず、送ってくれたのだが、法律上、勝手に入国できないのだ。
平時ならわかるのだが。
ならば、と、私が湖山の病院施設で使う為に受け取る事にします、と、日本側の受け取り責任者になった。
何枚サインしたかわからない。
皆、福島・宮城に運ばれた。
江東区の施設ロビーは段ボール箱で山積みになった。
新潟の施設の駐車場は、トラックの荷下ろし場所となった。
デイとショートを制限して、施設は赤字になったが、やむ負えなかった。
ボランティア活動では、他国からの支援物資の受け取りはできないが、自らが病院であれば、受け取り本人となれるのだ。
湖山は、被災者であり、救済者であり、当事者そのもの。
そう、生きて行く当事者そのもの。
他人事でもなく、余裕の支援事業でもない。
自ら必死に生きる事。自分の命を守る事。
そうして、今も生き続けている。

本日職員新規PCR検査陽性0。
御苦労様です。感謝致します。

今朝のパルスオキシメータ 97
湖山G代表 湖山泰成

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解説

解説に関しましては以下URLをご参照いただければ幸いです。

http://koyama-cn.com/?p=19544?cat=11