3・11東日本大震災の翌日を記憶しているだろうか。
土曜日で、私は、1人自宅にこもっていた。
前日から、夜通しでテレビを観ていたし、その後も一日中、メールを開けておきながら、電話をかけまくった。
テレビも同じシーンを繰り返し報道していた。
ネットが、遮断されて情報が来ない。
東京は、混線してなかなかどことも繋がらない。
東京と東北は1日繋がらなかったのではないか。
新潟と静岡とか、迂回すると突然、意外な地区に繋がったりする。
空いた回線から繋がる。
災害時は、メールで個別に連絡するのは、無理。
むしろ、ホームページに揚げて観てもらう方が早い。
そんな経験から、被災地へ、電話、メールで問い合わせても繋がらないし、時間の無駄と知るようになる。
被災地から、ホームページで、無事である事を、現地情報を掲載しろ。
安全地帯の施設は、とにかく支援準備を進めろ。
指示無くとも、自動的に自主的に全国の施設は動く、と言う経験値が生まれた。
無事だから、被害が少なかったから、報告しないのはいけない。
死んでしまったから、報告が来ないのか、無事だから被害報告が来ないのか、私にはわからない。
とにかく、無事ある事の生存報告を送れ。
とにかく、連絡のつかない施設に、支援物資を搭載して、向かう。
施設に残った方も大変。
施設スタッフが減るのだから、救援に行く者も施設に残る者も全て臨戦体制。
湖山Gは、全国どこでも災害があると、その地からの連絡を待つ。
当該施設から、写真添付の被害報告メールを待つ。
ホームページからの現地報告を待つ。
文章を書く暇はない。
被害状況の写真を全国に送る。
それを受信すれば、送り主はまだ生きている事はわかる。
無事だと分かれば良い。
東京と被災地間は、メール、電話が断絶してしまう。
だからこそ、大丈夫だった施設からは、無事だ、心配ありませんとの生存連絡を全国の湖山に送る。
全国の湖山Gはただ待っていただけではない。
実は、地震2時間後から、全国の施設は動き出していた。
山形から、島根から、ワゴン車に支援物資を乗せて、北へ発信した。
生存もわからぬままに、連絡もつかぬままに、とにかく北へ支援車が向かった。
お互いに全く連絡も付かぬままに北へ向かった。
どこから、誰が、何台、どこへ向かうのかも誰もわかっていなかった。
勿論、1人自宅で連絡を待つ代表の私も、何も状況を把握していなかった。
只々、被災地の仲間を心配し、生きている事を信じ、とにかく何かをしなければと、焦っていた。
でも、実際は、全国の施設は具体的な支援準備を確実に進めていた。
新潟の中越地震の時の全国支援経験が役に立った。
コントロールセンターが機能しなくとも、全国の施設は独自の判断と行動で、支援体制に入っていた。
その事は、現地東北でお互いに遭遇して、知ることになる。
私が提案して創設した、災害福祉広域支援ネットワークサンダーバードは、動き出した。
自らの仲間を救援する為に。
本日職員新規PCR検査陽性者0
御苦労様です。感謝致します。
今朝のパリスオキシメータ 97でした
ーーーーーーー
【解説】
解説に関しましては以下URLをご参照いただければ幸いです。