人は誰でも、人生の苦しい時期に思いをはせるのは、自分が輝いていた時代。
野球部でホームランを打った。
学芸会で主役を演じた。
願った大学に受かった。
支店長になった。社長になった。
認知症になった男性は、決して、副社長や副署長ではなく、社長や署長の時代に戻る。
苦しい時代には、戻らない。
女性は、母といる娘時代に戻る。
介護施設で、家に帰るというときの家は、嫁いだ家ではない。
子供時代の実家。
母が待つ実家。
夫や子供のいる嫁いだ家は、苦労の塊。
苦難の人生の始まり。
大人になっての人生の苦難は、人さまざま。
自分の選んだ道。自己責任。
だからこそ、選ぶ事のできない子供時代は万人が全て平等に幸せであって欲しい。
コロナ情報にどっぷり浸かっている1日。
寝床の夢の中では、子供時代に戻る。
父も母も若い。当たり前だが。
今、母の着物を整理している。
帯を裁断、額縁に入れて、絵画のようにして、新設の特養ホームの内装アートとして展示する。
亡くなって10年経ち、初めて母の箪笥を開ける。
見慣れた帯も1本だけあった。
でも、思い出す母の姿は、買い物籠を下げたエプロン姿。
お腹を空かした泰成君は、さぞ、買い物帰りの母が待ち遠しかったのだろう。
「市民ケーン」と言う映画も、「薔薇の蕾」と言う最期の言葉を頼りに、主人公の子供時代を追う。
名をなした偉人でも、死の極みでの言葉は、子供の時に見たシーン、思い出。
湖山Gには、神奈川に指定管理の母子支援施設がある。
そこは、広い敷地に、水のないプール。暗いロビー。
建物は暗くとも、日々の明るく楽しい子供時代であって欲しい。
児童施設ではなく、あくまで母子のシェルター住宅なので、法人が関与できる範囲は限られれている。
それでも、願う事はある。
大人になった時、施設の時代を楽しい思い出として、心に残して欲しい。
全国から、メロンや新米、クリスマスツリーを送ったりもした。
コロナの冬休みは、弁当も配った
親子で映画を見て欲しいと、映画チケットも送った。
コロナでは、外に行けない。
憂慮した挙句、近くのレゴ美術館となった特養ホームに支援してもらって、レゴランドにしようと計画している。
昨年末は、サンタの像をレゴで作ってもらい、贈った。
新年は、レゴの牛。
毎年、干支の動物を贈る事にした。
12年で揃う。
その日迄生きていられるか自信はないが、毎年、楽しみに、お年玉のレゴ像を送る。
老いた者の幸せは、幼き者の人生の思い出にささやかな関わりを持つことだと思う。
私は、湖山Gの施設のおかげで、寂しくない、幸せな老後を送れると思う。
コロナの時代でも、ささやかな我が身の幸せを噛み締める。
湖山職員に本日PCR陽性者0
御苦労様です。感謝致します。
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【解説】
解説に関しましては以下URLをご参照いただければ幸いです。