今日は、千葉県で、特養ホームの起工式に出席。
久しぶりにリアル。現地に赴く。
昨年は、起工式も、竣工式も、zoomでのオンライン参加だった。
地元食材の、施設手作りの料理を味わえないのが残念だった。
地元名産の日本酒も全て並ぶ。
小生は遠慮しているが、参加者は楽しみにしていたと思う。
本日の開設法人は、30年前に鳥取県で創設した法人。
まずは、医療法人を開設し、老健を立ち上げ、その後、社会福祉法人を開設、特養ホームを隣地に建築した。
その法人が、晴れて、千葉県にやってきた。
法人名は、当時の町長の命名。
中山間地の小さな町から、社会に羽ばたいて欲しいと言う期待を込めた名前。
今思っても、立派な町長だった。
父理事長を、第一高等学校、東大医学部出身と、聞いて、鳥取の我が町に老人保健施設を開設して欲しいと、招聘に銀座にいらした。
父を尊敬していらした。
課長を引きてれて、2度、銀座にいらした。
父と私は、平身低頭して律儀に真摯に要請される町長にほだされた。
今思い出しても、人格者の立派な町長だった。
今日の関東進出の起工式を見てほしかった。
法人名命名に相応しい発展を30年経って、やっとご恩返しができる。
当時、まずは、東京のスタッフと町を目指した。
空港から、車で行くわけだが、山の間の川沿いの街道を走る。
銀座と電話でやりとりしながらの道行だったが、そろそろ圏域に入る頃になると、電話の電波が届かなくなった。
まだ、ドコモの基地局がない地域だったのだ。
携帯の電話の使えない地域がまだあるのだ、とこれから自分が湖山の施設を開設する町の事を考えた。
施設が出来てから、父も現地に夫婦で旅行に行ったり、良い思い出を作った。
その後、多くの地方、中山間地に招聘されて訪問した。
当時、携帯の届く市町村は、計画を進める内に、現地の医師で、申請する人も出てくる事が多かった。
つまり、当時、人気のない介護施設を申請する医療法人は少なかった。
湖山が行くと、よそ者が来るなら、地元医師会でやらなければとなる。
行政に、当て馬に使われる事が多かった。
でも、結果、開設に至った町は、携帯電話の通じない町が多かった。
行ってみて、この街はダメだろう、電話の電波が良く入るから。
などと、冗談を言っていた事を思い出した
それが、わかっていても、見知らぬ地方を訪れるのは、東京しか知らない私には、刺激的だった。
私の来訪のせいで、地元から手が上がると、実は私は内心ほっとして、計画を譲った。
ご馳走を食べて、温泉につかって、喜んで帰京した。
私には、そんな、旅芸人のような全国行脚の時代があった。
どの法人にも、生みの苦しみを乗り越えるのに、地元の恩人がいた。
その事を忘れてはいない。
「今日、やっと、鳥取から、羽ばたいて、千葉迄たどり着きましたよ。町長。」
涙が止まらない。
今日迄湖山職員にコロナ17人。
御苦労様です。感謝致します。