世がカードの世界となって、小銭を使わなくなった。
そのせいで、銀行から頂く貯金箱もいつの間にか無くなってしまった。
泰成君の最初の貯金箱は幼稚園の時。
母に連れられて、とある社長さんの事務所に伺った。
母と社長さんとの話は多分お金の話で、泰成君にはチンプンカンプン。
部屋の中を探検して遊んで回る。
棚に花瓶と陶器製のカワイイ熊の貯金箱があった。
勝ってに持ち上げると、小判のようなお金の音がする。
かなり重い。
小熊を抱いて、振って遊んでいた。
社長さんは、毎日ポケットの小銭をその熊さんに食べさせていたそうだ。
帰り際に、抱きしめて離さない泰成君に負けたのだろう。
お土産にくれた。
人生初めての戦利品である。
我が家に帰って、底の蓋を開けてもらって、中身の金銀財宝を取り出した。
全部、1円玉だった。
びっくりしたというより、かなり、ショックだった。
子供心にも、価値がないという事が判ったらしい。
私が、お金に関心がなくなったのは、その時のショックからでないかと思う。
その一円玉軍団をどうしたかは記憶にない。
母が八百屋さんで使ったのだと思う。
グレーの大学帽を被った罪のない貯金箱は居間のテレビの近くに飾っておいたように思う。
その貯金箱は今はない。
あれほどの一円玉を見た事は未だに記憶がない。
その後、毎日、ポケットの小銭は、お茶の缶に入れるようになった。
数ヶ月で一杯になると、かなり重い。
100円玉、500円玉も多く、結構な金額になったのではないか。
それを、何時も、朝食の卵代です。
と言って、母に献上した。
母は何時も嬉しそうに、うやうやしく受け取ってくれた。
高額なプレゼントより、日々貯めたその小銭をありがたる人だった。
息子の勤労の証のように思ってのだろう。
大きなお金が嫌いだった。と言うより、信用していなかった。
身の丈にあった給料、身の丈にあった生活。
それ以外は、家族を不幸にすると知っていた。
母は正しいと、今になると納得する。
身の丈以上の財産は家族を不幸にする。
その心配は今の所、泰成君にはないが。
今日迄湖山職員にコロナ12人。
御苦労様です。感謝致します。
湖山G代表 湖山泰成
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【解説】
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