今年の4月からのアフターコロナの日々。
夜中にニュースの録画を見観ながら、メールをチェックする。
明け方に、銀座湖山日記を書く。
眠れぬ日が続く。
この日記を書く時間は、朝のミサ。祈りの時間。
孤独なようでいて、1番、湖山の一員である事を自覚できる。
昨晩は、珍しく、この時間迄泥のように眠った。
昨日と本日は、まる2日間、経営基本会議。
全法人が、月次報告をする。
月次決算、採用状態、計画との乖離。
その理由。今後の対応計画。当たり前。
私が個別指導せずとも、聞いている湖山の幹部は皆、その理由を判っている。
一生懸命やっている。
でも、現場の人手不足の上に、管理職の育成が追いつかない。
強く叱れば良いのか。
優しく励ませば良いのか。
両方やっているが、毎年、施設もスタッフも増える。
自分が飛び回っても、目こぼれは出て来る。
それでも、新規事業計画はどの法人も毎年ある。
その計画を止めれば良いのか。
もう、開設後30年近くになり、建て替えを迫られている施設も毎年ある。
安定した成長があって、常勤体制を維持できる。
若い職員の昇進昇級のチャンスも増える。
今の病院、施設は父と私が今の経営理事と戦友のように泥まみれになって、立ち上げた。
今の私達が飲む水を汲み上げる井戸を掘った。
私も65歳。
経営理事も50代。
今、苦労しているのは、湖山Gの未来の為だ。
今年採用した新人の未来の為だ。
そうでなければ、こんなに頑張れない。
経営理事とは、私が命名した、湖山G独自の役職名。
法的でもないし、手当がついているわけでもない。
法人役員の中で、筆頭責任者、私理事長の1番信任のあつい役員の事をさす。
本来なら、副理事長とか、専務理事とかにすれば良いのかもしれない。
小生は、28歳の時、常任理事だった。
常務理事の事。当時の病院会特有の呼び方。
明治時代は、「常任理事 院長事務取扱」と肩書きがついたらしい。
それが、病院の事務長の名称の始まり。
こう言う、過去の、古(いにしえ)の縁(ゆかり)については小生はうるさい。
経営理事とは、過去、法人の危機の際、中心となって法人施設を支えてくれた幹部に、戦友として、私が与えた尊称。
そして、愛称。
その、経営理事達が、現状に、私以上に苦慮しているさまが、ネット画像の表情であっても、汲み取れる。
その施設については、創業者理事長の小生以上に、思い入れが深いからだ。
よくわかるからに、簡単には叱れない。
報告幹部をねぎらい、励ますしかない。
眠れぬ夜は、未だ、明けず。
でも、いつかは泥のように眠る。らしい。
今日一日も昨日と同じく、会議と役員会が続く。
次第に、若い幹部が会議に増えてきた。
新規事業の当事者。
奮いたて、未来の艦長よ。未来の経営理事よ。
来る冬の第三波、第四波を覚悟して迎える。
奮い立て 泰成。
今日迄湖山職員にコロナ5人
御苦労様です 感謝致します
湖山G代表 湖山泰成
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【解説】
解説に関しましては以下URLをご参照いただければ幸いです。