【銀座湖山日記/11月26日】釣りキチ三平

【銀座湖山日記/11月26日】釣りキチ三平

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私の大学での特別授業では、映画を題材にして、医療、介護、の社会と家族のあり様を分析する。
まあ、映画紹介が殆ど、実際、映画を観るだけで授業時間一杯と言う事も多かった。
新作ロードショーの作品の映画チケットを配り、感想をメールで提出という事もあった。
楽しい授業だったと思う。
その授業で、唯一漫画を紹介した事がある。
「釣りキチ三平」で有名な矢口高雄の作品。
自身の幼少の頃の伝記。
秋田の山村で、祖父、両親、兄弟で、自然の中で育った。
作品は、「弟の死」
生まれたばかりの弟が、瀕死の状態。
母は、医者に見せたいと願う。
でも、寒村農家の祖父は、許さない。
医者は泥棒だ。そんな金はない。
泣き崩れる母の腕の中で、弟は息を引き取る。
1961年、国民皆保険が、全国施行されるまで、医者にかかるには、現金だった。
今で言うと、自費である。
お金がなくて、医者にかかれず、家族を亡くした。
その経験で、医師、看護師になった人は多い。
矢口高雄の作品で、私はこの一作が、生涯忘れられず、彼の作画が、映画のように記憶に残っている。
余程、祖父を恨んでいたに違いない。
医者は泥棒だと叫ぶ、祖父の顔の描写は今でも忘れない。
作者はもっとであったろう。
お金を払えない家庭は、医者に盆暮れに、お礼に、農産物や、釣れた魚を届けた。
貰う医者の家庭も、農村で、治療費を現金で払ってもらえなず、やり繰りに苦労した。
当時の開業医の奥さんの苦労話である。
医者が金持ちになったのは、国民皆保険の時代からである。
私の子供の頃は、医者は、金持ちではなかった。
お寺や、地主や、お金持ちの次男とか、お金持ちの奥さんを貰って、やりくりをして、医者の家庭は成り立っていた。
私が生まれたのは、父が東大病院のインターン試験の明け方だったそうで、教科書を読みながら、私が生まれるのを待っていたそうだ。
その私が生まれた病院の大学で、客員教授をさせた頂いている。
これもご縁だ。
父は、私のミルク代は、麻雀で稼いだと、何時も言っていた。
本当だと思う。
自称、東大の麻雀の永世名人と子供に自慢していた。
本当に好きだったのだ。
私が、この手の事に近づかなかったのは、父のせいだと思う。
とても、父には、叶わないと諦めていたからだ。
あれほど、勉強して、一生懸命勝負に真剣に取り組む人を知らない。
私は、読書や映画や、受け身の楽な楽しみに逃げていった。
将棋も碁も強かったが、麻雀が1番強かったらしい。
小学生の頃の記憶でも、月一回は我が家で徹夜で麻雀をしていた。
子供のミルク代を稼ぐ為のアルバイトである。
父の配牌を後ろから見ていて、この牌、何も書いてない、と言って、真剣に怒られた事があった。
漫画みたいだが、本当の事で、職場の同僚の先生達と卓を囲む風景を今でも思い出す。
ゴルフを始めて、その週末麻雀はなくなった。
国民皆保険のおかげで、日本国民は世界一幸せになった。
コロナの時代の今もその恩恵は大きい。
コロナでの死亡者が少ないのも、医療整備が豊富だからだ。
誰もが、入院できる国は日本位だ。
医療へのアクセスの良さは、日本が世界一だと思う。
この事だけでも、日本に生まれて幸運だったと感謝している。

漫画家 矢口高雄 享年 81歳

今日迄湖山職員にコロナ5人
御苦労様です 感謝致します

湖山G代表 湖山泰成

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解説

解説に関しましては以下URLをご参照いただければ幸いです。

http://koyama-cn.com/?p=15799?cat=11