カリオカンデでノーベル賞を受賞した小柴教授が亡くなった。
享年94歳。
つまり、故聖道理事長の一高、東大の同期。
父とは親しく、私も子供の時から、よくお会いした。
いつも、豪鬼で、おしゃべり。
特に、ノーベル賞を受賞なさってから、いつも、自慢話。
嬉しっくって仕方がない。
と言った風で、やんちゃな悪戯坊主と言った風満載。
他の東大の教授とは雰囲気が全然違う。
東大の医学部の教授の先生は、知性と理性が水晶になったような方ばかり。
秀才、英才を絵に描いたような人ばかり。
その中で、暖かいエネルギーを振り撒く印象的な先生。
東大で、京大の朝永先生を信奉していたのも、東大では珍しい。
私も、湯川、朝永ノーベル賞教授を憧れていたので、嬉しかった。
小学生の頃の憧れは、数学や物理学の研究者でした。
地下1000メートルに純水の巨大タンクを作る。
そこで、素粒子ニュートリノを見つけ、ノーベル賞を受賞した。
素粒子と遭遇できる可能性はほとんど無かった。
宇宙のタイムスケールからすれば、研究開始数年で発見できたのは、奇跡。
ありえない。
宇宙人との未知との遭遇の可能性と同じ。
考えてみれば、そんな可能性の薄い研究に、巨大予算を認めた当時の日本の大蔵省は偉かった。
とにかく、他国はそんな研究に予算を出さなかった。
誰もが、運が良いと言っても、研究者が優秀だからとは言わなかった。
でも、いつも、先生は俺はやるんだ、やったんだと、情熱一杯。
地下のカミオカンデに入ると、半年は地上に上がって来られない。
家族とも、会えない、連絡もできない。
トンネルの中で、素粒子との遭遇を待つのみ。
昼夜の時間も関係なく、計器で観測するしかない。
その、研究に人生を捧げ、命を縮めた、部下の教授がいた。
その研究者はノーベル賞の受賞を知らずに亡くなった。
何時も、その事を、すまなく思っていた。
酒を飲むと、いつも、すまない、すまないと言って、泣いていた。
隣で、優しく、母親のように何時も慰めていた父の姿を思い出す。
東大をビリで卒業した事を自慢していた。
ビリだったろうなと言うような気さくで、子供っぽい熱い人だった。
でも、講演会では、始めると、ドアを閉めて、鍵を掛けさせた。
遅れて、途中から、聞きに来る聴衆を許さなかった。
そう言う教授も、小柴先生位しか、思い起こせない。
とにかく、印象的な忘れられない先生だった。
今日迄湖山職員にコロナ3人
御苦労様です 感謝致します
湖山G代表 湖山泰成
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【解説】
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