【銀座湖山日記/9月23日】足元から見直す

【銀座湖山日記/9月23日】足元から見直す

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アフターコロナの世紀になって、生活が自宅中心になった。
もう、40年以上暮らしているのに、実家に間借りしているような生活だった。
自分は、2階の寝室と風呂場以外使わない下宿人生活だった。
今は主人の両親がいなくなり、一部屋一部屋荷物を整理して、家族の思い出を整理している。
7年前に母が亡くなり、1年前に父が亡くなった。
この家にいると、子供時代の様に、両親が身近にいるような気がする。
思い出に未だ囲まれていると言うべきか、囚われていると言うべきか。
母は明るい人だったが、外交的ではなかった。
週末、夫婦でゴルフに行く以外は、自宅が好きで、1日中、家事をするのが楽しそうだった。
料理は得意ではない、洗濯は好き。
とよく言っていた。
新宿の高層ビルが見える屋上で洗濯物を干すのが好きだった。
ゴルフ練習用ネットを置いてあった事も理由の一つだったかもしれないが。
私は、休みは、一日中、美術館、映画館、図書館に入り浸っていたので、家の事には全く無関心だった。
そうも言っていられなくなり、庭の植栽も植木屋さんにお願いして伐採した。
2階迄伸びた、松の木を2本切って、隣の小さな公園の緑を見えるようにした。
ゲートボールと体操をする老人達。
隣の大企業の家族寮からくる、子供達の叫声。
優しい刑務所の蟄居自宅から見る風景は、テレビで観る世界の街角と同じ。
部屋の掃除が面倒なので、2階にルンバを置いた。
帰ってくると、時々、椅子や風呂場の扉に捕まって往生しているのを救出する。
老人ホームでルンバの上に人形をおいて、ペットみたいにしているところがあるとか。
運動の為に高野山の禅寺みたいに、自分で床の雑巾掛けをすべきだと思うのだが。
母はソニーのアイボを可愛がっていた。
本物の生き物は、子供だけで懲り懲りしたのだろう。
父の書斎を片付けて、家族のアルバムを書棚にまとめた。
父の同期の教授の回想録が多数あった。
銀座本部に父の記念本棚を作り、遺品と一緒に飾った。
自宅警備の為に、テレビカメラを多数つけた。
そしたら、昼間に何回も警報が鳴る。
でも、画像を見ても何も写っていない。
人魂か、父の霊かと思ったが、どうも、猫らしい。
レーダーには引っかかるのだが、素早くてテレビに映らないのだ。
庭の一角、塀の内側に、土が柔らかくなっている場所があった。
そこが、猫の隠れ家になっているらしい。
まだ、顔も見た事のない、見知らぬ同居人。
特に雨が降り出すと、レーダーが頻繁になり出す。
身の回り、足下を見ていなかった。
遠くの新しい施設ばかりに目が行っていた。
東京は炭鉱のカナリア。
東京で起きた事はやがて全国に広まる。
と職員に良く言う私だが。
その東京を本当に見ていたのか反省している。
地方の川の流れは緩慢でも、東京は激流になりそう。
東京の船を新造船のように補強し、性能を上げなければ。
他県への旅はまだ、控えている。
むしろ、東京の湖山のスタッフに会うチャンス。
身近な家族と疎遠だったと気がついた。
連休明けの今朝は、病院の朝礼に出る。
新しい病院に建て替えるプロジェクトが動き出す。
これも、全国の現場スタッフが応援してくれるからだ。
生きた湖山の皆さんの顔に会えるのは、本当に嬉しい。
もう、今期の半分が終わる。

今日迄湖山にコロナ2人 ご苦労様です
感謝致します

湖山グループ 代表 湖山泰成