【銀座湖山日記/9月19日】沈黙の音

【銀座湖山日記/9月19日】沈黙の音

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10年前、新人若手監督の新作を観た。
文科省の補助金をもらい、東北寒村の廃校を舞台に、心温まる人間ドラマ。
山村の雲の流れる空から、次第にカメラは大地に降りてくる。
雪の積もった大地。
雪の大地に、人の足跡が一歩一歩、残されて行く。
無音のまま。静寂のまま。
足跡が一歩一歩。ゆっくりと。
2分くらいだったが、無限の静寂の様に感じた。
その間、不安になり、何故か落ち着かない。
人間の脳は、無音、完全な暗黒、皮膚の無感覚に耐えられない。
その状態が続くと、やがて、幻想を観る様になる。
暗闇での座禅は同様な生理的現象を誘引して、瞑想する。
SF作家マイケル・クライトンは棺桶みたいな感覚遮断ボックスに入って、瞑想するのが日課だった。
瞑想の中に、新しい感覚、発想が生まれるらしい。
私は風呂で十分だが。
その若手監督に、何故、冒頭シーンに音楽を入れなかったのかと聞いた。
雪景色の大地の静けさを、完全な無音で表現したかったのだと、答えた。
でも、無音は不安になる。
音響の故障かと思って、ボリュームをいじったよ。
映画では、撮影したばかりのフイルムにBGMを入れるて観るのを、絵が立つと言う。
音無の映像を観ても、何も感じない。
味のない料理を食べている様に味気ない。
映画は、セリフや、環境音があって、観る人の心を動かす。
サイレントムービーよりも、ラジオドラマの方が、心を動かす。
感動する。泣ける。笑える。
無限の宇宙を行く宇宙船。
熱も音も全く無い無限の宇宙。
それを表現するにも、実は耳に聞こえない位の低音か高音の音が流れている。
そうして、初めて、音の無い静寂の死の宇宙を感じられるのだ。
無もまた、星の光と超高低音で表現するのが、映画技法だ。
落語も、演劇も過剰な言葉、セリフよりも、沈黙の間で、表現する。
沈黙の音。
何を言うかよりも、何を言わないかの方が大事な事の時もある。
私の心の沈黙は何を語っているのだろう。

今日迄湖山にコロナ2人 ご苦労様です
感謝致します

湖山グループ 代表 湖山泰成