【銀座湖山日記/9月13日】順天堂創設記念日

【銀座湖山日記/9月13日】順天堂創設記念日

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1843年9月13日 蘭学者佐藤泰然が、病院兼蘭医学塾「順天堂」を創設した。
1955年4月16日 湖山泰成が順天堂医院にて生まれた。
現在、順天堂大学の客員教授を勤める。
順天堂病院ではなく、順天堂医院と言うのも開設当初の名称医院を引継いだからでしょう。
メイヨー・クリニックも大病院ですが、クリニックと称しています。
偶然です。
今日が、父故湖山聖道理事長の命日。
一周忌になります。
故人の遺志に従い、式典も何も致しません。
同窓生が、亡くなった通知が来る度に、父は達観して来た様です。
湖山13000人の職員にも迷惑をかけてはいけない。
命を救ける仕事は24時間365日。
1日と言えども休めない。
大晦日も正月も毎日救急病院に通っていた医師の気持ちです。
葬式は遺族が心の整理をする為。
一周忌も、残された者達がしっかり継承していると、社会に納得してもらう為の儀式でしょう。
あえてしない、と言うのもかなり厳しい遺言です。
37年前に、父が理事長・院長。
私が常務理事として、湖山医療福祉グループを創設し、経営をして来ました。
株式会社系も小生が、創業社主です。
父子鷹と言う程カッコ良くは有りませんでしたが、仲良く助け合って人生を送って来ました。
2人の親子としての会話の記憶は殆ど有りません。
何時も湖山グループの経営のことばかりです。
父は、医療の責任と心配ばかり。
子は、未来の夢ばかりです。
2人とも自分の老後の心配は全くしてませんでしたね。
歯車とか両輪とか言う程には上手く効率よくは有りませんでしたが、ぶつかる事もありませんでした。
医療と経営と完全に分離していたからだと思います。
湖山は今、600隻の船が日本中の海で航海をしています。
私は600人の艦長と1000人の副艦長を、育て支える事が、父から託された仕事だと覚悟しています。
父の医療を支える経営から、湖山グループ全職員に使える経営となりました。
向上心と倫理観の高い職員に成長の機会を作る。
職員教育を第一とする。
当たり前の事を、真面目に継続する。
ただ、父からは晩年には、無理をするな、楽になれよ。
と、別れ際に何時も言われました。
冬山登山では、リーダーは最後尾を歩きます。
後ろから全メンバーの安全を確認する為です。
でも、吹雪が激しくなり、進路が見えなくなると、リーダーがトップを歩きます。
1番豊富な経験者である事と、必ず手足と顔が凍傷になるからです。
これから、冬山登山の時代になるのであれば、私はその覚悟で臨みます。

今日迄湖山にコロナ2人 ご苦労様です
感謝致します

湖山グループ代表 湖山泰成