子供の頃は、歴史や宗教を年寄趣味だと思っていました。
未来を夢見る少年です。
SF漫画、小説、映画の世界が、来るべき真実の未来。
過ぎ去った、疫病と戦争の人類史は、それこそ、神話伝説の世界。
自分とは関係ない。
不思議です、歳を取るとその忌まわしい人間の歴史が我が身の事となるのです。
我が身の事をもはや諦めると、更に、若者の未来を憂える年寄りとして。
若い時は、老学者や作家の随筆が好きでした。
映画もそうです。
子供や青年の物語は嫌いでした。
自分は老成していると思いたかったのでしょう。
若者の世界で生きていく事が馴染めなかったように思います。
今なら、引きこもりのオタクと言われるだけです。
今の医療介護経営についての考え方も歴史観に基づきます。
医療介護保険の成立した時代背景とその政策変更の歴史から考えます。
私の経営戦略は、全て昭和33年の国民皆保険の成立からの展開として今を位置付けます。
未来は?
その長い国家戦略としての社会保障の構築が、崩れて行かざる負えない。
様々な日本の未来をシュミレーションして、如何なる事態になっても、存続可能な経営を進めています。
成功発展の為のリスクは最小限に留めます。
赤字の施設の安易な存続を許しません。
小さくとも、安定した利益を継続できる病院施設経営モデルを湖山に確立します。
全ての船が、コロナの嵐を乗り切れるだけのエンジンの力と喫水線の高さを維持します。
豊富なガソリン、資金も必要です。
兵站の余裕の確保です。
湖山は全国展開どころか、来年には、上海で1000床の老人ホームを開設する予定です。
兵站が伸びる事の心配もあります。
一方、アジアから湖山を目指す人材教育ネットワークの確保でもあります。
ネットのチームケア学会にその未来を確信しました。
マーケット拡大は、リスクヘッジとして安全確保の拡大としての考え方でもあります。
下り坂の経済財政の日本だからこそ、ローカルな湖山の医療介護施設が求められています。
私は歴史的時間軸思考の人間です。
故聖道理事長は、地理的地政学的思考の人でした。
実家にも、病室にも大きな地図帳が手元に置いてありました。
日々、時間があると地図を開いて見ていました。
何を考えていたのか、湖山の施設の場所を確認していたのか。
今では解りません。
台風、災害、地震何があっても、そこには湖山の施設があったはずだと電話がきました。
父は、政治と戦争の話は嫌いました。
昭和3年生まれの父にとって、戦時は一高の寮生活です。
一年早く生まれていれば、戦争に行っていた。
勉強の出来る奴より、食べ物集めが上手くて皆に配っていた奴の方が、その後出世した。
頭の良い奴よりも、面倒見の良い人柄が大事。
過去も未来も見る事を避けていました。
出世も成功も全く関心がありませんでした。
その日の目の前の患者の診療以外には、無関心。
でも、その事は未来に責任のある経営者の私には、許されません。
今では、父を、恨めしく、羨ましく思えます。
何時も、地図帳を手元に置く父と、歴史書を紐解く子。
これも、横軸と縦軸でしょうか。