【銀座湖山日記/8月8日】高校図書委員長

【銀座湖山日記/8月8日】高校図書委員長

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私が小中高一貫してきたのは、図書委員長であった事です。
スポーツも、音楽も、何もかも続きませんでした。
飽きやすく、友達も少なく、校舎の中で過ごす居場所は図書室です。
小学校の時は棚のはじから、6年かけて全て読破しました。
偉人伝や図鑑が多かったと思います。
中学校の時は、ミステリー、SFにどっぷりはまりました。
今はもう、読む事はありませんが、私の考え方、発想が少し変わっていると言われるのは、この時の読書の影響が大きいでしょう。
スペキュレイティブ、思弁的、仮想的。
今でも、そういう言葉が好きです。
高校は名だたる大図書館を誇る学校でしたので、読破は無理ですが、目標をたてました。
岩波新書を3年で読破しました。
「自由と規律」「知的生産の技術」
今でも、新書はほとんどチェックしています。
私の知識フィールドは、岩波書店と中央公論社の書物によるものが多いです。
梅棹忠夫、今西錦司といいった京都学派に傾倒します。
生態学、情報学、未来学、社会科学。
万博後の国立民族博物館に毎年大阪に行くようになります。
SF作家小松左京や、ベ平連の小田実に傾倒し、道頓堀ミナミに食べ歩きに行く為でもありましたが。
図書委員になると、本の修理の仕方を教わります。
古い岩波文庫の表紙を取り替えて、新しい丈夫なものに付け替えるのです。
職人芸らしい事ができるのは、これぐらいです。
本に書き込みができないのは、図書館での教育かもしれません。
司書の先生は、有名な方で、高校生活で1番影響を受けました。
温厚で、優しい、白髪の女性でした。
白髪と知性と言われれば、アインシュタインと司書の先生を思い浮かべます。
その頃は、社会学者や文筆家に憧れていました。
好きな本を読んで、時々何か書けば生きていけるだろうなどと、夢のような事を考えていたわけです。
その頃は月刊紙の時代です。
中央公論、文藝春秋、岩波世界、映画芸術。
ませていましたね。
テレビのコメンテイターの話を聞くと自分の意見、分析を披露したくなります。
読書会や、大学のシンポ、勉強会に押しかけるようになります。
今思うと、恥ずかしい位ませていました。背伸びをしていました。
若いという事は、恥じらいを知らないという事です。
今の自分は違うと思いますが。
昨日、50年ぶりに月刊岩波9月号を買って帰りました。
世界を読んで見える世界は変わったでしょうか。
それとも、自分が変わったのでしょうか。

今日迄湖山にコロナ2人 ご苦労様です
感謝致します

湖山グループ 代表 湖山泰成