【銀座湖山日記/7月26日】映画で安楽死を考える

【銀座湖山日記/7月26日】映画で安楽死を考える

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京都嘱託殺人の医師は、自分も同様な状況になったら、同じ事を望むだろうか。
若い人は、我が身がその立場になったらと考えるだけで、震え上がるのでは。
私も若い時は、映画の登場人物に感情移入するあまり、気が動転してしまう事があった。
小説では、そこまで感情が乱れる事はない。
主人公に共感するのでも、媒体によって脳の感受性が違うのだろうか。
在宅幽閉生活の為、映画館にも行けず、毎日テレビで古い映画を観直す日々が続く。
映画回想法と称して、映画館で観た時の状況や、感情を思い出そうとする。
でも、気持ちが動かないのだ。
カメラワークや演出の出来ばかり、分析して、物語に感情移入ができない。
まるで、犯罪捜査のビデオ分析調査みたい。
何故なのだろう。
映画館で観るという事は、そのものが、行動。
架空のフィルムの中の世界と、リアルな自分の存在との絶対矛盾の自己同一。
赤ん坊に外国語を覚えさせる場合、テレビの外国語授業を見せても覚えない。
母親が目の前で、口移しに発音させると覚えが格段に違う。
脳の構造がそうなっているらしい。
リアルな体験でしか、身につかない。
ベットの上で観るテレビ番組は、流れて消えていく空気のよう。
自分は安楽死、尊厳死を選ぶ事がある得るだろうか。
怖くて問い詰められない。
著名な哲学者が、人生の最期にカトリックの洗礼を受けた事を知っている。
何故か、カトリック。
絶対的な存在に帰依したくなるものらしい。
私の修士論文は、キリスト教比較宗教哲学なのだが、いくら努力しても、とうとうキリスト教の洗礼を受ける事はなかった。
安楽死は宗教の問題を避けては語れないと思う。
最後に、思い出した映画のご紹介。
クリント・イーストウッド監督の
ミリオンダラー・ベイビー
グラン・トリノ
観てから、違うぞと怒らないでください。
自分で選ぶ人生と理解してください。
是非、ご覧あれ。

今日迄湖山にコロナ2人 ご苦労様です
感謝致します

湖山グループ 代表 湖山泰成

(中国語翻訳文)銀座湖山日記 7・26 映画で安楽死を考える

京都嘱托杀人的医生,如果自己也遇到同样的情况,会希望如此吗?
年轻人,光是想想自己变成那样,就会打颤不是吗。
我在年轻的时候,也会对电影中的人物投入过多情感,而吓了一跳。
读小说倒是不会出现那样情绪混乱的时候。
即便与主人公有同感,但是媒体形式不同,大脑的感受性也会不同吧。
由于宅家生活,也不去电影院,连续几天,每天在电视上回看电影老片。
用一种叫做电影回想法的方法,试图回想出当时在电影院观看时的状态和情感。
但是,情绪还是调动不起来。
仅仅分析摄影技术和演出效果,是无法将感情注入到故事中的。
就像是,犯罪搜查的视频分析调查一样。
这是为什呢。
去电影院看电影,这本身就是“行动”。
架空的胶片中的世界和现实中自己的存在有着绝对对立的自我同一。
让小孩子学习外语时,就算是让他看电视上的外语课程,小孩也学不会。
这与让小孩在妈妈面前,口头学习发音(的方式)极其不同。
大脑构造仿佛就是那样。
只有通过真实的体验才能学会。
躺在床上播放电视节目,就和听耳旁风一样。
自己能够选择安乐死、尊严死吗。
太可怕了实在无法逼问(自己)。
我知道著名的哲学家会在人生初期接受天主教的洗礼。
为什么是天主教呢。
好像是想皈依于绝对的存在。
我的硕士论文写的是基督教比较宗教哲学,
但是不管怎么努力,还是没有接受过基督教的洗礼。
我认为安乐死是无法避开宗教这个问题的。
最后,我想要介绍两部想到的电影。
克林特·伊斯特伍德执导的
《百万美元宝贝》、
《老爷车》。
看过之后,请不要生气地说“完全不是这样”。
请理解这是自己选择的人生。
请一定要看看。