昨日は熊本豪雨で、また多くのお年寄りが亡くなりました。
施設のご利用者は独りでは逃げられないのです。
階段も降りられないのです。
叫ぶことも出来ない人達。
存在を知っている人が即時に助けに行かないと。
地震洪水で、その瞬間は命拾いをしても、1日も持たないでしょう。
介護が無ければ。
介護が無ければ水を一口も飲めない、一歩も歩けない人達。
東日本大震災の時、湾岸の老健で、屋上迄逃げ延びたのに。
深夜雪が降り、衰弱死した入居者が大勢いました。
直ぐにヘリコプターが行ければ救われたかも知れません。
車も、船も、歩いても施設に辿り着けません。
東日本大震災2日目、民間ボランティアヘリコプターで気仙沼の湖山の老健に舞い降りました。
その時、天空から見下ろしても、目的地がわかりません。
眼下の森の中に埋もれた、どの建物も区別がつかないのです。
実は空路もiPadのGoogle マップで、緯度経度を入れて旅立ったのです。
4人乗りの、金魚鉢と名付けた小型ヘリコプターで。
その時に、救援に来てもらう為には、ホームページとパンフレットと名刺には緯度経度を記載すべきと閃いたのを覚えています。
私は帰路のヘリコプターの燃料が手に入らず、2次遭難して、気仙沼の老健に閉じ込められました。
そこに、山形から続々と湖山グループの救援車が到着し、救助されました。
その車輌で、福島の湖山の特養ホームまで運ばれました。
そこには、静岡からの湖山の救急車が支援物資を満載して来てくれました。
その救急車で高速道路を走ることが出来たので、東京迄送って貰いました。
東京からの行きは2時間30分。
帰りは宅急便状態で、1日がかりです。
電話もメールも不通の、混乱の最中に、震災2時間後から、救援車が全国の湖山の病院施設から駆けつけたのです。
指示命令依頼無くとも、各施設自主的に!
全国の湖山のスタッフは、確信しました。
全国どこで震災災害がありうとも、必ず救いに来てくれると。
その事を信じて、それまでは、施設を地域に開放する。
救援センターとなる。
気仙沼の施設は当日から地域のお年寄りを100名近く受け入れていました。
職員は自宅に戻ることも出来ません。
自宅や家族の事も心配でしょうに。
全員、 入居者、避難民と同じく、塩おにぎり一個と味噌汁一杯の食事を分け合っていました。
ヘリコプターには、チョコレートのようなお菓子を山のように持って行きました。
正解だったと思います。
私もお菓子と交換するように、塩おにぎりを頂きました。
美味しかったです。
原子力発電所の煙の上を飛んできた身には、生きている事を実感出来る米の味です。
介護の必要なお年寄りは、この日の私のように、1日1日を大事に生きているのだと。
今日1日生き延びている事の大事さ。
お世話をしてして下さっている人への感謝。
その日の気持ちを、今、思い出しています。
忘れられません。
今日迄湖山にコロナ1人 ご苦労様です
感謝致します
湖山グループ 代表 湖山泰成