【銀座湖山日記/4月28日】政治家への道

【銀座湖山日記/4月28日】政治家への道

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小学校低学年の頃、日曜日は家族でドライブです。

何時も同じコースで、箱根芦ノ湖スカイラインか山中湖に向かいます。
道が混むので日の出の頃に出発です。
幼少の子供は眠くて、行きは何時も後部座席でおネムです。
たまには豊島園か後楽園に行く事がありました。
その時は、順天堂か東大病院に寄ります。
病棟に勝手に入って行って、自分が紹介して入院させた患者様の具合を見に行くのです。
患者自身はお休み中ですが、ねむけまなこで飛んできた当直の研修医に挨拶をするのです。名刺を渡して、心配な時は直ぐに連絡して下さい、と。
子供心に、医師とは皆こうするものだと思い込んでいました。
どの医師もこうする訳ではないと気がつくのは、だいぶ先の事ですが。
私が50歳の頃、とあるロータリークラブの朝食会に参加し名刺交換をしました。
そのクリニックの院長の肩書の女性は、名刺の名前を見て私の顔を覗き込みました。
貴方はあの湖山先生の息子さんですか、とため息をつきました。
その先生は順天堂大学に勤めていた頃、当直の朝によくお会いしました、というのです。
余程印象的だったのでしょう。

明け方とか休みの日に心臓が苦しいとか気分がすぐれないとか、時間にかかわらず患者様から自宅に電話がかかって来ました。深夜迎えが来て出て行くこともありました。
翌朝帰宅して、どうしたのと聞いても、何も答えず、不機嫌に布団に入った背中で答えます。
こうして、医者というのは大変なんだな、なるもんじゃないなと子供心に思うのです。

小学校2年の11月です。ドライブに行くので車庫を出たばかりの夜明けの頃、カーラジオがニュースでケネディ大統領が暗殺されましたと叫びました。
眠気まなこの泰成君は、助手席の母に、「ボク大統領になるのは辞めるよ」と言ったそうです。
こうして、政治家湖山泰成の道は閉ざされたのでした。

人生は運命。私は、自ら望んで道を得る事はありませんでした。
強いて言えば、父に、湖山の仲間に導かれて、この山この道に導かれたのだと今は思います。

湖山グループ 代表 湖山泰成