【銀座湖山日記/4月19日】 自ら変わるDNA

【銀座湖山日記/4月19日】 自ら変わるDNA

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30年も前の事です。銀座の救急病院も再建を果たし経営も安定したのですが、銀座という場所で建て替えや増築も望めず、人件費もあらゆる経費も高く、経営的に未来は無いと確信しました。進歩する医療について行くには、新しい検査機器を導入しなければなりませんが、そのスペースがありません。当時の病院は、外来の設備と混合状態で検査していました。経営は、人間ドック・健診の収入と、17 室の高い個室料で支えていたのです。父院長の努力で、政財界のお歴々の患者様も多く、そのご縁で大企業健保組合の契約も多くありました。でも、外来と健診と救急と一体となった設備は、あまりにもアメニティが悪く、受診者に申し訳ありませんでした。それで、病棟を廃止し、そのスペースで、人間ドック専門の健康管理センターを作ったのです。収益が減り、莫大な借金をして、当時としてはホテル内装的な銀座にふさわしい健康管理センターを作りました。当時は、救急病院がクリニックになると言うのは考えられない事で、病院会では、もったいないとか、なんと愚かな事かと揶揄されました。結果的には、スタッフは土日も休みで当直もなくなり、年間利益は倍になりました。当時の父院長は怒りました。暮れ正月も勤務する病院から、月金昼だけしか働かなくて利益が倍になるとは、世の中間違っていると!
今になると、父の言う怒りがわかります。自分は楽したくて医者になったのでは無いと。
その後、都心の殆どの民間中小病院は倒産して無くなりました。都内最小の救急病院から都内最大の民間クリニックに、自らの力で生まれ変ったのです。未来に生き残る生命体は、強いからでも大きいからでもありません。環境の変化に対応する者のみが生き残れるのです。今の銀座医院になるまでも、幾度かメタモルフォーゼをして、今も銀座最大の医療機関となっているのです。

自ら変わるDNA それが、湖山の、今に続く、私達のDNAです。
湖山グループ 代表 湖山泰成