【銀座湖山日記/4月16日】 親を入れられる病院を作ろう

【銀座湖山日記/4月16日】 親を入れられる病院を作ろう

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今日で、私は満65才になります。新社会人になった頃は、当時定年の55才ですら、火星くらい遠い世界でした。あっという間に、要介護認定を受けて、美術館にシルバー料金で入館出来る御隠居の年になりました。自分の人生を培ってくれた映画館、美術館、図書館が閉鎖されてしまうとは本当に辛いです。でも、コロナとの戦いはこれからで、自己規制、忍耐の長い生活を維持する事が必要になります。人の命を救う、健康を守る、寂しくない生活を支える。湖山の医療福祉の目指すところです。でも、最初に志した事は「親を入れられる病院を作ろう」でした。30年以上も前の事です。新聞記事で「病院看護師へのアンケート、自分の病院に親を入院させたくないとの答え、95%」とありました。ショックでした。当時構想していた湖山病院もそう思われるのか、と考えるといたたまれなくなりました。当時、老人病院は質の悪い金儲けの病院と思われていました。正しい医療にはそぐいません。それで、開設スタッフに、私が語った目標は、「日本一とは言わないが、せめて、自分の親を入れたいと思えるレベルの病院を作ろう」でした。父、湖山聖道理事長は6年間湖山リハビリテーション病院に入院し、91才の人生を送りました。スタッフのおかげで、父は最期の日まで、笑顔でスタッフに感謝して人生を全うしたと信じています。ありがとうございました。湖山の12000名の全スタッフにとっても、湖山はそうあってほしいと、自分の親だけが幸せであって良いはずはないと。少なくとも、父はそんな事を私に許すはずがないと。今は、より強く思う毎日です。この春は、父理事長の遺影を持って、全国をまわろうと計画をしていました。それが許されない状況になってしまいました。これも、まだ、その資格はない、道まだ半ばだと、理事長に叱られているのだと、考えています。コロナとの戦いは総力戦です。私と一緒に戦いましょう。生き残りましょう。

上野透析クリニックから、手作りの防護服を着て手を振っている松岡副院長の写真を送って貰いました。防具服は手作りだそうです。明るく、前向きに皆頑張っていると言ってくれました。ありがとう。
いつかは、皆さんのもとに行ける日が来ると信じています。

湖山の戦友に激励と感謝を込めて
父と共に 湖山 泰成

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