「ダウト~あるカトッリク学校で~」
古い時代の映画が伝えるもの、それはその時代の風景と思想である。しかも、その時代には自由に語ることのできぬ異端、反社会的な生き方、主張を取り上げることが多い。現代では、当たり前に許されることも、その時代では命にかかわることもあると教えてくれる。遠慮がちな会話、戸惑う表情。演技は長い演説より雄弁にしかも繊細に複雑な感情、矛盾に満ちた社会を体感させる。歴史の知識と宗教政治には多様性があるという価値観を持っていないと、絵画も映画も面白さが半減する。また、何故、この時代に製作され、ヒットしたのかを推理する。製作者の意図もまた、政治的なのである。ピュリッツアー賞受賞舞台劇を同賞受賞俳優2人が激突する。ケネディが暗殺され、公民権運動が盛り上がる1964年のブロンクスのカトリック学校が舞台。祭壇用のワインを盗み飲んだ黒人男性生徒をかばう革新的な神父にフィリップ・シーモア・ホフマン、気にいらない神父を追い出す口実に追求する、厳格で魔女のような校長にメリル・ストリープ。「プラダの悪魔」での鬼編集長のように、この人以外いないと思えるくらいはまり役。マンマミーアなんか忘れてほしい。いやないやな性格をやらせたら最高。嘘と思ったら、出世作の「クレイマー、クレイマー」を観てほしい。知的でわがままで嫌な性格をなんと自然に演じていることか。あんな奥さんに我慢している心優しい夫がどれほど哀れか。ミッションインポッシブルで最強の悪役を演じたホフマンが善良な神父を演じきっている。名優の名演とはなんと自由で巧みなのか。比べて見てほしい。(こ)